文同(読み)ぶんどう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「文同」の意味・わかりやすい解説

文同
ぶんどう
(1018―1079)

中国北宋(ほくそう)中期官僚墨竹画家。字(あざな)は与可(よか)。号は笑笑(しょうしょう)先生、石室(せきしつ)先生、錦江(きんこう)道人、鏡江道人など。官職にちなんで文洋州、文湖州ともよばれた。梓(し)州永泰(四川(しせん)省梓潼(しとう))の人。1049年(皇祐1)の進士に合格、地方官、京官を歴任し、最後には知湖州(浙江(せっこう)省呉興)となり、79年(元豊2)赴任の途中で没した。博学で、書、詩文をよくし、詩文集に『丹淵(たんえん)集』がある。また蘇軾(そしょく)(蘇東坡(とうば))と交わりがあり、同じく墨竹を描いて、文人墨戯の一科の芸となる墨竹図の基をつくり、湖州竹(こしゅうちく)派とよぶ墨竹画系の祖とされる。

[星山晋也]

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百科事典マイペディア 「文同」の意味・わかりやすい解説

文同【ぶんどう】

中国,北宋の文人。字は与可。号は錦江道人。1049年の進士で,諸官を歴任した。書は,篆(てん),隷,行,草,飛白(ひはく)を得意とし,また墨竹を描いては〈蕭灑(しょうさい)の姿に富む〉と評された。
→関連項目呉鎮

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「文同」の意味・わかりやすい解説

文同
ぶんどう
Wen Tong

[生]天禧2(1018)
[没]元豊2(1079).1.21.
中国,北宋の文学者,画家。梓州梓潼 (四川省) の人。字,与可。号,笑笑先生。太常博士,集賢校理から陵州,湖州などの知府を歴任した。洒落で清高な人柄で,詩文,書画とも人柄のような風格があった。特に竹の水墨画が名高い。蘇軾 (そしょく) とは親戚で非常に親しかった。主著『丹淵集』 (40巻) 。

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世界大百科事典(旧版)内の文同の言及

【松竹梅】より

…松竹梅を中国では歳寒三友と呼ぶ。中国の北宋後半の文人官僚文同とその従弟の蘇軾(そしよく)らにより文人たちのあいだで墨戯としての墨竹の流行が始まった。その後,墨戯はモティーフを,梅,蘭,菊,松等に広げ,冬期に色を変えぬ松竹や花を開く梅を君子の節操の象徴としてとりあげる機会も多くなり,これを歳寒三友と呼んだ。…

※「文同」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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