呉鎮(読み)ごちん

日本大百科全書(ニッポニカ)「呉鎮」の解説

呉鎮
ごちん
(1280―1354)

中国、元(げん)代の在野の文人画家。いわゆる元末の四大家(黄公望(こうこうぼう)、呉鎮、倪瓚(げいさん)、王蒙(おうもう))の一人で、新しい山水画様式を、強い個性で樹立し、後世の文人画の指標となった。また墨竹の大家。字(あざな)は仲圭。すこぶるを愛し、梅花道人と号した。浙江(せっこう)省嘉興魏塘(ぎとう)の人。終生官に仕えず、易卜(えきぼく)をしたり、また村塾を開くなどして、郷里で貧しいまま文人的生活を送った。四大家の他の3人は互いに交流したが、呉鎮は交渉をもたなかった。画風は、山水董源(とうげん)、巨然(きょねん)を学び、晩年は略筆化を進め簡略な筆致を特徴とし、墨竹は文同を学んだ。明(みん)代に呉鎮の題詩を集めた『梅花道人遺墨』がある。

[星山晋也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「呉鎮」の解説

呉鎮
ごちん
Wu Zhen

[生]至元17(1280).7.6.
[]至正14(1354)
中国,元末の画家。嘉興府魏塘鎮 (浙江省) の人。字は仲圭,号は梅花道人,梅道人ほか。孤高な性格で仕官せず,山水,竹木を描き墨竹を得意とした。のち元末四大家の一人に数えられたが,他の三家に比べ社会的地位も低く,売画を職業としたらしい。巨然画風を継いだ山水画にもすぐれ,ことに沈周 (しんしゅう) に及ぼした影響は大きい。代表作『漁父図』 (台北故宮博物院) ,『嘉禾八景図』など。著書に『梅花道人遺墨』『梅花菴稾』などがある。

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百科事典マイペディア「呉鎮」の解説

呉鎮【ごちん】

中国,元の文人画家で,元末四大家の一人。字は仲圭,号は梅(花)道人。浙江省の人。詩,書もよくしたが,終生清貧と孤高の隠遁(いんとん)生活を送った。山水画では巨然の点描法を学び,文同に学んだ墨竹も秀逸。作品《嘉禾八景図》《漁父図》など。詩画集に《梅道人遺墨》がある。
→関連項目沈周

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精選版 日本国語大辞典「呉鎮」の解説

ご‐ちん【呉鎮】

中国、元代の画家。元末の四大家の一人。字(あざな)は仲圭。号は梅(梅花)道人など。浙江省嘉興の人。生涯隠住生活を送る。山水、竹木を描き、とくに墨竹を得意とし、詩と草書にもすぐれた。(一二八〇‐一三五四

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デジタル大辞泉「呉鎮」の解説

ご‐ちん【呉鎮】

[1280~1354]中国、元代の画家。嘉興(浙江せっこう省)の人。あざなは仲圭。号、梅(梅花)道人。元末四大家の一人。墨竹・山水にすぐれ、詩・書もよくした。

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世界大百科事典 第2版「呉鎮」の解説

ごちん【呉鎮 Wú Zhèn】

1280‐1354
中国,元末の文人画家。元末四大家の一人。字は仲圭。号は梅花道人,梅沙弥など。浙江省嘉興の人。巷間で売卜さらに売画をしたといわれ生涯貧困であった。交友は少なく隠逸の志が強く晩年は禅宗に帰依したという。詩文,草書のほか北宋風の墨竹画で一家を成したが,特に山水画は董源,巨然を学んで水墨の明暗と滋潤な効果による独自の様式をきずき後世に大きな影響をおよぼした。《梅道人遺墨》の著がある。【湊 信幸】

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世界大百科事典内の呉鎮の言及

【元末四大家】より

…中国,元末から明初にかけて活躍した黄公望,呉鎮,倪瓚(げいさん),王蒙の4人の文人画家。ともに董源,巨然を学び元初の趙孟頫(ちようもうふ)などの復古主義の成果をふまえ,おのおのが強い個性を反映して独自の山水画様式を樹立した。…

※「呉鎮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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