文英清韓(読み)ブンエイセイカン

デジタル大辞泉 「文英清韓」の意味・読み・例文・類語

ぶんえい‐せいかん【文英清韓】

[?~1621]江戸初期の臨済宗の僧。伊勢の人。東福寺南禅寺に歴住。豊臣秀頼依頼で作った方広寺大仏殿鐘銘に「国家安康」の文字を用い、徳川家康の怒りを受けた。

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改訂新版 世界大百科事典 「文英清韓」の意味・わかりやすい解説

文英清韓 (ぶんえいせいかん)
生没年:?-1621(元和7)

近世初期の禅僧。不放子と号する。伊勢の中尾氏の出身。俗名は重忠。出家の年は不明だが,第1次朝鮮出兵(文禄の役)のとき,加藤清正に僧として随行。1600年(慶長5)東福寺,次いで南禅寺の住持となる。14年,片桐且元の依頼でつくった方広寺大仏の鐘銘が徳川家康の怒りに触れ,鐘銘事件を引き起こした。豊臣氏滅亡後に捕らえられて京都,次いで駿府に数年のあいだ拘禁されていたが,20年(元和6)9月には後水尾天皇に東坡詩集を進講している。京都で没。
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朝日日本歴史人物事典 「文英清韓」の解説

文英清韓

没年:元和7.3.25(1621.5.16)
生年:永禄11(1568)
江戸初期の臨済宗の僧。自ら不放子とも称した。伊勢(三重県)安芸郡の人。慈雲大忍(一説に文叔清彦)の法を嗣ぎ,伊勢の無量寿寺に住した。のち加藤清正の帰依を受けて九州に下向し,文禄・慶長の役に随侍したという。慶長5(1600)年東福寺の第227世となり,同9年には南禅寺(世代不明)に昇住した。同19年,豊臣秀頼に請われて方広寺の鐘銘を書した。これは,文中の「国家安康」の句が,徳川家康の文字を分けたとして徳川方の怒りを買い,大坂の陣,そして豊臣家滅亡の引き金となったものとして知られる。<著作>『方広寺鐘銘並五山僧評判』(大日本仏教全書119巻)<参考文献>森大狂『近古禅林叢譚』

(石井清純)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「文英清韓」の解説

文英清韓 ぶんえい-せいかん

?-1621 織豊-江戸時代前期の僧。
臨済(りんざい)宗。文禄(ぶんろく)の役に加藤清正の右筆(ゆうひつ)として随行,のち京都東福寺,南禅寺の住持。方広寺鐘銘を撰(せん)し,文中の「国家安康」が徳川家康の怒りにふれ駿府(すんぷ)に拘禁,のちゆるされた。元和(げんな)7年3月25日死去。伊勢(いせ)(三重県)出身。俗名は中尾重忠。号は不放子。

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