斯波貞吉(読み)しばていきち

改訂新版 世界大百科事典 「斯波貞吉」の意味・わかりやすい解説

斯波貞吉 (しばていきち)
生没年:1869-1939(明治2-昭和14)

ジャーナリスト政治家福井に生まれる。1896年帝国大学文科大学卒業後,オックスフォード大学に学ぶ。帰国後,一時教員を務めたが,《万朝報》の英文記者となり,のち編集局長として黒岩涙香,石川半山,茅原華山らと健筆をふるう。ことに護憲運動には普通選挙,憲政擁護の立場から積極的に取り組んだ。この間,週刊平民新聞》の英文欄に執筆する。1905年山路愛山らと国家社会党創立した(1892年に著した《国家的社会論》は国家社会主義を説いた最初のものといわれる)。涙香の没後,常務取締兼主筆となるが,万朝報社を退社し,25年《東京大勢新聞》を創立し,社長兼主筆となる。また東京府から立候補代議士となる(当選6回)。憲政会立憲民政党に所属。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

20世紀日本人名事典 「斯波貞吉」の解説

斯波 貞吉
シバ テイキチ

明治〜昭和期のジャーナリスト,政治家 衆院議員(立憲民政党)。



生年
明治2年8月(1869年)

没年
昭和14(1939)年10月14日

出生地
福井県

学歴〔年〕
東京帝大文科大学英文科選科〔明治29年〕卒,オックスフォード大学卒

経歴
英留学を終えて盛岡中学校教諭、高輪仏教高等中学・同大学各教授を務め、明治30年万朝報に入り、英文記者、編集局長となった。社長黒岩涙香の下、石川半山、茅原華山らと大正初期の憲政擁護に健筆をふるい、黒岩没後は常務兼主筆。堺利彦らの週刊「平民新聞」英文欄も執筆。38年山路愛山らと国家社会党を創立。大正14年東京大勢新聞社を創立、社長に就任。同年東京府から衆院補欠選挙に立候補、当選、憲政会、立憲民政党に属し、当選6回。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「斯波貞吉」の解説

斯波 貞吉
シバ テイキチ


肩書
衆院議員(立憲民政党)

生年月日
明治2年8月

出生地
福井県

学歴
東京帝大文科大学英文科選科〔明治29年〕卒 オックスフォード大学卒

経歴
英留学を終えて盛岡中学校教諭、高輪仏教高等中学・同大学各教授を務め、明治30年万朝報に入り、英文記者、編集局長となった。社長黒岩涙香の下、石川半山、茅原華山らと大正初期の憲政擁護に健筆をふるい、黒岩没後は常務兼主筆。堺利彦らの週刊「平民新聞」英文欄も執筆。38年山路愛山らと国家社会党を創立。大正14年東京大勢新聞社を創立、社長に就任。同年東京府から衆院補欠選挙に立候補、当選、憲政会、立憲民政党に属し、当選6回。

没年月日
昭和14年10月14日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斯波貞吉」の解説

斯波貞吉 しば-ていきち

1869-1939 明治-昭和時代前期の新聞記者,政治家。
明治2年8月17日生まれ。仏教大教授などをへて,明治31年万(よろず)朝報に入社。のち主筆兼編集長となり,憲政擁護,普通選挙権獲得の論陣をはる。大正14年東京大勢新聞社を創立し,社長兼主筆。13年から衆議院議員(当選6回,立憲民政党)。昭和14年10月14日死去。71歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。帝国大学卒。著作に「国家的社会論」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「斯波貞吉」の解説

斯波 貞吉 (しば ていきち)

生年月日:1869年8月17日
明治時代-昭和時代のジャーナリスト;政治家。万朝報社取締役;衆議院議員
1939年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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