新宮山古墳(読み)しんぐうやまこふん

日本歴史地名大系 「新宮山古墳」の解説

新宮山古墳
しんぐうやまこふん

[現在地名]山口市吉敷 新宮

山口盆地の北西吉敷よしき川左岸の標高六四メートルの独立丘陵上に位置する、東に向いた五世紀前半の小規模な前方後円墳

平成六年(一九九四)発掘調査がなされた。全長三六メートル、後円部径二四メートル、高さ三メートル、前方部高さ二メートルで、後円部に比して前方部がちょうど半分の長さである。丘陵の頂を削出して墳形を作出し、わずかに盛土を積む。後円部二段、前方部一段。埴輪葺石はみられない。内部主体は、長軸に並行して竪穴式石室が設けられている。基底部の小口のみ板石を箱式石棺状に立て、大部分の壁は平らな石を小口積みにする、当地方独特の石棺系竪穴式石室の一種である。


新宮山古墳
しんぐうやまこふん

[現在地名]御所市大字稲宿小字新宮山

稲宿いないど集落南方、南から北に延びる丘陵上に位置し、径約二五メートルの円墳と考えられる。東南方に開口する両袖式の横穴式石室玄室の長さ六・二メートル、幅二・三メートル、高さ約三メートル、羨道の長さ七・三メートル、幅一・七メートル。

玄室内には形式の異なった二個の石棺がある。羨道寄りの石棺は赤黒い花崗岩の刳抜式家形石棺。製作技術はきわめて精巧で、蓋の前後、両側面に計六個の断面方形の縄掛突起や、身の稜線には面取りがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の新宮山古墳の言及

【巨勢氏】より

…孝徳朝の左大臣徳太(徳陀古),天智朝の御史大夫比等,708年(和銅1)に太宰大弐に任じられた多益須,715年(霊亀1)中納言に任じられた麻呂,718年(養老2)に中納言に任じられた邑治(おおじ)らがいる。御所市古瀬およびその周辺には,権現堂古墳(径約15mの円墳,6世紀前半の築造),新宮山古墳(径約25m,6世紀中葉~後半の築造),水泥古墳(径約14mの円墳,7世紀初頭の築造)があり,いずれも巨勢氏の奥津城と考えられる。また,御所市古瀬には,大きな心礎の残存する寺院跡がある。…

※「新宮山古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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