日本歴史地名大系 「新治郡衙跡」の解説
新治郡衙跡
にいはりぐんがあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
常陸(ひたち)国新治郡の郡衙跡。茨城県筑西(ちくせい)市古郡(ふるごおり)にある。1941年(昭和16)、43年、49年の3回にわたり発掘調査が行われ、52棟の有礎建造物跡を検出した。これらは北部群24棟、東部群13棟、西部群9棟、南部群4棟と4グループとその他2棟からなる。掘立て柱建造物の検出はない。建造物群には三列、四列といった規格性が想定できる。建造物の基礎地形(じぎょう)は12メートル×9メートルほどのものが一般的で、なかには44メートル×12メートルといった大型建造物の基礎もある。817年(弘仁8)郡衙が火災にあい、「不動倉13棟、穀9990石を焼く」と『日本紀略』に記載されているが、東群13棟の跡からは多量の焼け籾(もみ)が検出されており、この火災の記事を裏づける。郡衙の廃絶はこのときの火災によると推定される。国史跡。
[大川 清]
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