方励之(読み)ほうれいし(英語表記)Fang Lizhi

百科事典マイペディア 「方励之」の意味・わかりやすい解説

方励之【ほうれいし】

中国の反体制物理学者。北京生れ。北京大学物理学科卒業。1958年に中国科学技術大学の教員となる。専門は天体物理学。一時中国共産党党籍剥奪(はくだつ)されるが,のち回復。1984年には中国科学技術大学の第一副学長に就任した。しかし,1986年に同大学から全国各地に広がった民主化要求デモを扇動したとして,翌1987年に副学長を解任され,共産党からも除名となった。同年,デモへの対処の甘さを指摘された胡耀邦(こようほう)/(フーヤオバン)共産党書記も失脚した。その後も民主化学生の精神的支柱であり,1989年1月には政治犯の釈放を要求する書簡【とう】小平(とうしょうへい)/(トンシアオピン)に送っている。同年4月の胡耀邦死去がきっかけとなって6月に天安門事件が発生,方はその首謀者と目され,中国当局は身柄の拘束を図った。しかし,北京のアメリカ大使館へ避難し,米中関係が緊張する中,1990年に家族と共にイギリス出国。以後,イギリスやアメリカの研究所・大学を転々とし,1991年にアリゾナ大学教授となっている。物理学を専攻していたことから〈中国のサハロフ〉ともいわれた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「方励之」の意味・わかりやすい解説

方励之
ほうれいし
Fang Lizhi

[生]1936.2.12. 中国,北京
[没]2012.4.6. アメリカ合衆国,アリゾナ,トゥーソン
中国の宇宙物理学者,反体制活動家。1952年北京大学物理学部に入学,1956年卒業。その後中国科学院近代物理研究所に配属され,副研究員となる。1957年に「右派」とされて中国共産党の党籍を剥奪され(→反右派闘争),1958年中国科学技術大学理論物理研究室研究者に転任した。1970年安徽省淮南炭鉱に労働改造に送られた。1978年に名誉回復とともに党籍を回復し,1984年中国科学技術大学副校長に任命された。1986年アメリカ合衆国のプリンストン大学客員研究員として留学。帰国後上海交通大学,北京大学などで講演し,政治の民主化や西洋化を提唱し,共産党のイデオロギーや権力腐敗を厳しく批判した。1987年ブルジョア自由化を主張し学生運動をあおったとして党籍剥奪と副校長解職の処分を受け,北京天文台に左遷されたが,この頃から「中国のサハロフ」と呼ばれた。1989年1月書簡で反革命罪で投獄されている魏京生らの政治犯釈放を鄧小平直訴。同 1989年6月の天安門事件後にアメリカ駐北京大使館に亡命した。1990年アメリカと中国の交渉結果,病気治療の理由でイギリスに出国した。その後,プリンストン大学客員研究員,アリゾナ大学教授を務めた。

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