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胡耀邦 こようほうHu Yao-bang

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

胡耀邦
こようほう
Hu Yao-bang

[生]1915.11.20. 湖南,瀏陽
[没]1989.4.15. 北京
中国の政治家。 1930年共産主義青年団に参加,33年中国共産党に入党。長征に参加。抗日戦争期に延安抗日軍政大学政治部副主任,中央軍事委員会総政治部組織部部長を歴任,国共内戦期には第 18集団軍の政治部主任などをつとめた。 52年より共産主義青年団中央第一書記に就任し,文化大革命直前までつとめる。 64年より中共中央西北局第二書記と陜西省委第一書記を兼任。文革で政治批判を受け失脚したが,75年に中国科学院責任者に復活。鄧小平の政策に協力し,科学技術工作のいくつかの問題に関する「報告綱要」の起草を指導した。同報告はのちに「四人組」に「三つの大毒草」の一つとして批判された。 77年十一全大会で中央委員に選出,中央党校副校長,中央組織部部長に就任,文革で失脚した幹部の名誉回復を積極的に推進。 78年の 11期三中全会で中央政治局委員,中央規律検査委員会第三書記に選出され,中共中央秘書長,中央宣伝部部長をも兼任。「実践は真理を検証する唯一の基準である」討論キャンペーンを組織し,「思想解放」運動を推進。 80年の 11期五中全会で中央政治局常務委員と中共中央総書記に選出。 81年党主席,82年総書記に再選され,趙紫陽とともに最高実力者 鄧小平の左右手として「改革と開放」政策の推進に活躍し,政治改革をも積極的に主張した。改革派の知識人保護などで党内の「開明の指導者」として知られ,日中関係にも意欲をみせた。保守の長老からの反発もしばしばあり,87年1月学生運動の責任が問われ,総書記を辞任。同年 10月の十三全大会で政治局委員に降格。 89年4月 15日,北京で病死した。それを契機に学生運動が爆発,胡耀邦の名誉回復を含む政治改革,民主化を求めた。 (→天安門事件 )

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デジタル大辞泉の解説

こ‐ようほう〔‐エウハウ〕【胡耀邦】

[1915~1989]中国の政治家。湖南省出身。1930年共産主義青年団に加盟、1933年中国共産党員となる。毛沢東の死後、1977年に鄧小平が復活すると同時に党中央委員。党の要職を歴任後、1980年党総書記に就任し、翌年華国鋒にかわり党主席に昇進。1986年の民主化運動に理解を示したため、1987年総書記を辞任させられた。フー=ヤオパン。→天安門事件

フー‐ヤオパン【胡耀邦】

こようほう(胡耀邦)

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百科事典マイペディアの解説

胡耀邦【こようほう】

中国の政治家。湖南省出身。1933年中国共産党に入党。翌年長征に参加。1966年末,文化大革命で解任されるまで,共産主義青年団第一書記などとして,党青年団の育成にあたった。
→関連項目温家宝胡錦濤中華人民共和国方励之

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

胡耀邦
こようほう / フーヤオパン
(1915―1989)

中国の政治家。湖南(こなん/フーナン)省劉陽(りゅうよう)県出身。1933年中国共産党員。1934年中国共産党秘書長小平(とうしょうへい/トンシヤオピン)のもとで共産主義青年団秘書長兼組織部長となり、長征に参加。1937年延安(えんあん/イエンアン)抗日軍政大学に学ぶ。同大学政治部副主任、第二野戦軍兵団政治部主任などを務める。1957年共産主義青年団第一書記となり、小平党総書記の助手として活躍。1960年日中共青共同声明調印。1965年陝西(せんせい/シャンシー)省党第一書記。1966年「文化大革命」で共青書記局を解散させられ、1967年劉少奇(りゅうしょうき/リウシャオチー)小平路線の手先とされて失脚。1972年部分的復活。1975年科学院副秘書長となるが小平第一副首相の命を受けて書いた「科学院活動報告」を「毒草」として非難され、1976年小平とともにふたたび失脚。毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)死後、1977年小平再復活と同時に党中央委員。中央党学校副校長。党組織部長。1978年党政治局員、1979年党秘書長と党宣伝部長を兼任。1980年党常務政治局員兼総書記。1981年華国鋒(かこくほう/ホワクオフォン)にかわり党主席に昇進。1982年党主席制の廃止により、党総書記として改革開放を進めた。1986年の民主化運動に理解を示したため、1987年1月総書記を辞任させられる。1989年胡の死去を契機に、同年6月第二次天安門事件が起きた。[高市恵之助・渋谷 司]

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世界大百科事典内の胡耀邦の言及

【中国共産党】より

…社会主義の道,プロレタリア独裁,共産党の指導,マルクス・レーニン主義と毛沢東思想の堅持を〈四つの基本原則〉として掲げつつ,毛沢東思想の真髄は〈実事求是〉(事実にもとづいて真理を求める)にあるとして,その継続革命論を否定し,改革・開放政策を推し進めた。81年6月には〈建国以来の党の若干の歴史問題についての決議〉を中央委員総会(11期6中全会)で採択して毛沢東の評価を相対化し,華国鋒を降格させて胡耀邦をこれに代えた。 12回大会(1982年9月)は計画経済を主体とし,市場調節を従とする方針を提示し,世紀末までに国民総生産を4倍化するという目標をかかげた。…

※「胡耀邦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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