日出村(読み)ひじむら

日本歴史地名大系 「日出村」の解説

日出村
ひじむら

[現在地名]日出町日出

現日出町の中央に位置し、標高二〇メートルの丘陵上と浅い谷に立地する。南は別府湾に面し、西は辻間つじま村、東は川崎かわさき村、北はしろ(三六〇メートル)とその東麓丘陵を境に南藤原みなみふじわら村に接する。日出城の北部をかすめるように杵築きつき方面への道(日出城路)が通り、当村の小村ほり村から藤原方面と深江ふかえ方面への道が分岐している。中世は日出庄に含まれ、近世初期には仁王におう村と称していたが、元禄一一年(一六九八)日出村と改称(図跡考)。ただし近世初期にも日出村の称があった。

文禄二年(一五九三)の大友除国により豊臣秀吉の蔵入地となり、慶長二年(一五九七)日出庄は辻間村とともに早川長敏領となった。このとき両所五千二〇〇石の惣庄屋に辻間統為・同七蔵の両名が任じられている(同三年九月一〇日「大西加門・徳平焉信連署奉書」城内文書など)。同三年七月辻間七蔵が提出した日出庄指出帳(東京大学史料編纂所謄写本)によると、当時の日出庄は仁王名など中世の名の名残とみられる呼称を多く含んだ二三四の地域に区分され、田方は八八町七反余・一千九石余、畠方は二〇四町七反余・二千二二一石余。田方は永荒七四石余・塩入六五石余・川成一四石余・当荒八四石余などがあり、毛付高は七三三石余。


日出村
ひでむら

[現在地名]伊根町字日出

丹後半島一周道路に沿い、現宮津市方面より行けば現伊根町入口にあたる。近世の伊禰浦いねうら三ヵ村の一。慶長検地郷村帳に六六・九八石「日出村」とあるが、延宝九年(一六八一)の延高で約二倍の一三二石余となった(天和元年宮津領村高帳)

慶長七年(一六〇二)日出検地帳(「丹後伊禰浦漁業史」所引)によると、日出村内名請人五四人のうち屋敷持が一七軒である。名請人のなかにみえる刀禰は中畠二筆分計三畝一五歩を所持しているが屋敷持には列していない。その理由は不明。早くから漁村として開け、近世初期には鰤刺網・鮪台網などが中心であった。百姓株一二株を所有した(→伊禰浦

宮津藩領として推移したが、寛文六―九年(一六六六―六九)、延宝八―九年、享保二年―宝暦九年(一七一七―五九)幕府領であった。


日出村
ひいむら

[現在地名]渥美町日出

渥美半島先端に近く太平洋岸に臨み、東は堀切ほりきり村、北は伊良湖いらご村に接し、西は伊良湖岬に続く。享保三年(一七一八)の調べに戸数四二とある(渥美郡史)。永禄六年(一五六三)間宮直綱領となり、元和五年(一六一九)野村藩領となって明治に及んだ。

太平洋岸に臨む断崖下に砂浜より海中に連なる岩石門があり、日出の石門せきもんとよばれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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