幕末維新期の文人。通称市左衛門、幸成(ゆきなり)、幼名を鉞三郎(えつさぶろう)という。号は松濤軒(しょうとうけん)、翟巣(てきそう)、白雲堂。幸孝(ゆきたか)の四男。斎藤家は美濃(みの)(岐阜県)国主斎藤龍基(たつもと)の子孫で、代々江戸・神田雉子(きじ)町の名主として6か町を支配、また神田青物市場を監督して野菜の上納をつかさどった。祖父幸雄(ゆきお)、父幸孝(ゆきたか)の遺志を継いで稿本『江戸名所図会』を補正し、1834年(天保5)正月、全20巻のうち前編10冊を刊行。36年正月に後編10冊を出版した。画(え)は長谷川雪旦(せったん)、雪堤(せってい)。実に斎藤家3代の刻苦鏤骨(るこつ)の大業が、月岑によって達成されたのであった。その他の著書に『東都歳事記』5巻、『声曲類纂(せいきょくるいさん)』6巻、『武江年表』12巻など。明治11年3月6日没、享年75。墓所は浅草法善寺。
[水江漣子]
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…そのうち1632年より幕末まで存在した紀州徳川家上屋敷は最も広大なものであった。【松崎 欣一】 明治維新当初,神田雉子町の名主斎藤月岑(げつしん)は,その日記に,溜池を舟で渡って豊川稲荷へ参詣する寂しさを記しているが,それは赤坂から青山へかけての武家屋敷の荒廃によるところが大きかった。〈塀は頽れ家は壊れて寂莫たる有様〉(《太陽》1898)は,女の一人歩きは昼間でも危険だといわれる状況であった。…
…1790年(寛政2)ころ大田南畝が原撰し,1800年笹屋邦教が〈始系〉を付記,さらに02年(享和2)山東京伝が〈追考〉を加え,文政年間(1818‐30)式亭三馬が増補した。以上をもとに,33年(天保4)渓斎英泉が《無名翁随筆》(別名《続浮世絵類考》),44年(弘化1)斎藤月岑が《増補浮世絵類考》,68年(明治1)竜田舎秋錦が《新増補浮世絵類考》を,それぞれ書きついでいる。しかし上記の各書はいずれも成立当時に出版されることなく,写本として伝えられたため,多くの異本が生まれた。…
…江戸府内にとどまらず,北は大宮,西は日野,東は船橋辺に至るまで筆を及ぼし,名所旧跡,社寺仏閣などの沿革と現況を,実地踏査にもとづき記述,雪旦の描く詩情豊かな挿図とともに史料的価値が高く,幕末期の江戸風俗を知るうえに欠くことのできぬ一史料となっている。斎藤月岑【小池 章太郎】。…
…江戸末期の国学者。江戸の人。通称周輔,権太郎,号は郁子園(むべぞの),蔦垣内。医師所尊光の子として生まれたが,神田佐久間町の名主片岡家の養子となった。晩年の村田春海に入門し,その才を現す。本間游清,屋代弘賢,高田与清らと交友。また,《江戸名所図会》の著者斎藤幸孝・幸成(月岑(げつしん))父子とは住居が近く同職のためとくに親交し,その著にも序文を寄せた。門人も多かったが30歳余で没す。【南 啓治】…
…浄瑠璃を中心とする江戸時代音楽史の書。編者は斎藤月岑(げつしん)。1847年(弘化4)刊。…
…近世後期における江戸および近郊の年中行事を月順に配列し,略説した板本。斎藤月岑(げつしん)編。長谷川雪旦・雪堤父子の挿絵入り。…
…江戸300年にわたる精細な年表。斎藤月岑(げつしん)著。正編8巻8冊,続編4巻4冊。…
※「斎藤月岑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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