大庭柯公(読み)おおばかこう

改訂新版 世界大百科事典 「大庭柯公」の意味・わかりやすい解説

大庭柯公 (おおばかこう)
生没年:1872-1923?(明治5-大正12?)

ジャーナリスト山口県長府町(現,下関市)生れ。本名景秋。父伝七は下関の豪商白石正一郎の弟。元東京外語教師古川常一郎にロシア語を学ぶ。兄弟子に二葉亭四迷。1896年ウラジオストクのロシア商館に通訳として入社。1901年参謀本部通訳官,02年4月外務省海外練習生としてハルビンにいき,11月大連で家具店を経営。この時期までもっぱら〈国士〉たらんとして活動。日露戦争には通訳官として従軍。戦後《大阪毎日新聞》に入り,主として海外特派員として活躍するが11年退社。《外交時報》《イースタン・レビュー》主宰。14年《東京朝日新聞》に入り,二葉亭以来の露都特派員として〈露軍従軍記〉を載せ,記者として文名をあげる。〈白虹(はつこう)事件〉で同社を辞め,黎明会設立に参加。新聞を〈民衆化〉する一環として記者組合組織を提唱,19年7月知識人組織として先駆的な著作家組合をつくる。同年9月《読売新聞》主筆となり,21年5月ロシアに入る。イルクーツクでスパイ容疑で逮捕されるが,いったん釈放。22年1月,モスクワの極東諸民族大会に通訳として出席しているが,4月,モスクワでOGPU(統合国家政治保安部,GPUの後身)に再逮捕され,ブトゥイルスカヤ刑務所に送られたが,11月日本へ送還のため出所。92年10月,名誉回復が行われ前記のことが文書で明らかになったが,出所後,死に至る模様はいぜん不明である。著書に《露国及び露人研究》などがある。
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朝日日本歴史人物事典 「大庭柯公」の解説

大庭柯公

没年:没年不詳(没年不詳)
生年明治5.7.27(1872.8.30)
明治大正期の新聞記者,随筆家。本名景秋。山口県長府町(下関市)に大庭景明ととき子の3男として生まれる。父に従って上京したが,父は不遇のまま,明治17(1884)年死去。以後,給仕や書生をしながら夜学で英語,ロシア語を学び,その際二葉亭四迷との交際を経て大きな影響を受けた。29年ウラジオストクに渡りロシア商館の通訳,帰国後は香川の陸軍師団や参謀本部のロシア語教師,通訳などを勤めた。39年再度ウラジオストクに渡ったが,革命派の容疑を受け拘禁される。同年秋帰国し,大阪毎日新聞社に入社,明治末期は同社特派員として豪州,フィリピン,南米,ヨーロッパを旅行し,紀行記を発表。『東京日日新聞』を経て,東京朝日新聞社に移り,第1次世界大戦(1914~19)の欧州東部戦線を取材し,文名をあげた。民本主義思想の影響を受け,労働運動や社会運動への関心を次第に深めたが,大正7(1918)年,日露戦争講和反対論を展開していた『大阪朝日新聞』の筆禍・白虹事件の余波が東京におよんだことから朝日新聞社を退社し,新聞記者組合の提唱,著作家組合設立など知識人の自立を模索する。8年読売新聞社に入社し,外交問題に筆をふるった。10年革命後のロシア視察のためシベリアからモスクワに入ったが,軍事スパイの嫌疑を受け投獄された。その後の消息は不明だが,13年死没したと推測される。大正デモクラシーの論客としてだけでなく,その思想をジャーナリズムにおいて実践しようとした独自の存在であった。<著作>柯公全集刊行会編『柯公全集』

(有山輝雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

20世紀日本人名事典 「大庭柯公」の解説

大庭 柯公
オオバ カコウ

明治・大正期のジャーナリスト,評論家,随筆家



生年
明治5年7月27日(1872年)

没年
大正13(1924)年(?)

出生地
山口県豊浦郡長府町(下関市)

本名
大庭 景秋

経歴
小学校卒業後、太政官の給仕などをしながら英語学校に通い、また明治20年前半にロシア語を学ぶ。29年ウラジオストクの露国商館に勤務して31年に帰国。香川県善通寺第11団のロシア語教師となるが、34年参謀本部通訳官となり、35年外務省海外練習生として二葉亭四迷と渡露する。39年大阪毎日新聞記者となって、ヨーロッパなど各地を廻り、のちに東京日日、東京朝日、読売などの新聞記者をつとめ、大正9年社会主議協会に加入。その後、読売新聞編集局兼主筆を辞め、10年五月革命後のロシア探訪に赴き、軍事探偵の嫌疑でモスクワで投獄される。いったん釈放されたが、13年帰国の途中で銃殺されたと伝えられている。「世を拗ねて」「ペンの踊」の2冊の著書があり、没後「柯公全集」全5巻が刊行された。平成9年ロシア連邦保安局中央公文書館から親族のもとに遺品が返還された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大庭柯公」の意味・わかりやすい解説

大庭柯公
おおばかこう
(1872―?)

明治・大正期の新聞記者。本名は景秋(かげあき)。長州藩士の家に生まれたが、維新のため家は没落。給仕などをしながら英語、ロシア語を学び、単身でロシアに渡り、帰国後は通訳として活動した。日露戦争には参謀本部通訳官として従軍。1906年(明治39)ウラジオストクに入ったが、スパイ容疑で強制送還される。同年大阪毎日新聞社に入り、海外特派員として活躍。1914年(大正3)東京朝日新聞社に転じ、ロシア駐在記者となる。1918年「白虹筆禍(はっこうひっか)事件」に対する社内処理に憤慨して退社。また『中央公論』誌上に記者組合結成を提起するなど、ジャーナリスト運動の先駆者。1921年、ロシア革命取材のためソ連に入り、消息不明となる。

[有山輝雄]

『久米茂著『消えた新聞記者――大庭柯公』(1968・雪書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大庭柯公」の解説

大庭柯公 おおば-かこう

1872-? 明治-大正時代の新聞記者。
明治5年7月27日生まれ。二葉亭四迷とともにロシア語をまなび,日露戦争で通訳官をつとめる。「大阪毎日新聞」や「東京朝日新聞」の海外特派員をへて,読売新聞社に入社する。大正10年ロシア革命後のモスクワにはいり,11年以後消息をたった。山口県出身。本名は景秋。著作に「露国及露人研究」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大庭柯公」の意味・わかりやすい解説

大庭柯公
おおばかこう

[生]明治5(1872).7.27. 山口
[没]1921?
ジャーナリスト。本名は景秋。 1906年『大阪毎日新聞』へ入社。以後『東京朝日新聞』や『読売新聞』に移って,ロシア通の記者として活躍。次第に社会主義に接近。革命後のロシア視察のため 1921年訪露。7月 15日チタ発の通信を最後に消息を絶った。

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367日誕生日大事典 「大庭柯公」の解説

大庭 柯公 (おおば かこう)

生年月日:1872年7月27日
明治時代;大正時代の新聞記者;社会評論家。読売新聞編集局長
1924年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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