改訂新版 世界大百科事典 「早矢仕有的」の意味・わかりやすい解説
早矢仕有的 (はやしゆうてき)
生没年:1837-1901(天保8-明治34)
丸善の創業者。美濃国(岐阜県)笹賀村に生まれる。医を志し大垣へ出て医術と蘭学を修め,1854年(安政1)に開業した。57年江戸に出て坪井信道,福沢諭吉に師事し,貿易の振興が日本の国力を充実するゆえんであると痛感した。69年(明治2)横浜において書店丸屋を創業したが,この屋号は地球の〈球〉を〈丸〉に替えて名づけたもので,世界を相手に商売をしようとする彼の志が託されている。翌年東京日本橋通り3丁目に書店丸屋善七を開店し,外国書籍輸入の端を開いた。ついで唐物店(洋品),仕立店(洋服),指物(洋家具),薬店を開き,〈丸屋商社之記〉ならびに社則を定め,会社組織によって経営した。73年〈帳合之法〉(西洋簿記)を採用し,その普及をはかるため講習会を開いた。74年社内の生命保険ともいうべき〈社中死亡請合規則〉を設けて実施するなど,近代的経営を積極的に採用した。一方,1870年に出版にも進出,桑田衡平訳補《袖珍薬説》を処女出版したほか,外山正一ほか撰《新体詩抄》(1882),チャンブル編,西村茂樹ほか訳《百科全書》(1883)などを出版した。80年,有限責任の株式会社に改組,丸善商社(1893年,丸善株式会社に改称)に改め,日本橋店を本店とした。84年,経済的変動により79年に設立した丸屋銀行が破産したため,丸善商社の社長を辞任して,もっぱら丸屋銀行の整理にあたり,その後引退した。
執筆者:矢作 勝美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報