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春申君 しゅんしんくんChun-shen-jun; Ch`un-shên-chün

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

春申君
しゅんしんくん
Chun-shen-jun; Ch`un-shên-chün

[生]?
[没]考烈王25(前238).郢
中国,戦国時代末期のの政治家で戦国四君の一人。姓は黄,名は歇 (けつ) 。楚の考烈王1 (前 262) 年に宰相となり,25年間内治,外交に活躍し,強敵に対抗した。孟嘗君らと同じに 3000人もの食客を養ったことで有名。一時荀子を地方官に任命したこともある。考烈王の死後,李園に殺された。

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世界大百科事典 第2版の解説

しゅんしんくん【春申君 Chūn shēn jūn】

?‐前238
中国,戦国楚の政治家。姓は黄,名は歇(けつ)。博識をもって楚の頃襄王(けいじようおう)に仕えた。秦に使いし書面を奉じて昭王を説得し,その南進を思いとどまらせた話は有名。頃襄王の死後,考烈王の宰相となり,封ぜられて春申君とよばれた。継嗣のない考烈王に懐妊したみずからの愛姫を献じたが,王の死後,発覚を恐れた義兄の李園によって殺害された。斉の孟嘗君,魏の信陵君,趙の平原君とともに戦国の四君の一人に数えられ,食客3000人を養って,その勢力は楚王をもしのいだ。

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大辞林 第三版の解説

しゅんしんくん【春申君】

?~前238) 中国、戦国時代の楚の宰相。姓は黄、名は歇けつ。秦に使いし、その攻撃を思いとどまらせた。食客数千人を擁し、勢力は楚王をしのいだといわれる。戦国の四君しくんの一人。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

春申君
しゅんしんくん
(?―前237)

中国、戦国時代後期の楚(そ)の宰相。趙(ちょう)の平原君(へいげんくん)、魏(ぎ)の信陵君(しんりょうくん)とともに合従の軍を成立させて秦(しん)に対抗した(前257)ことで有名。これらに斉(せい)の孟嘗君(もうしょうくん)を加えて戦国四君と称される。氏は黄、名は歇(あつ、けつ)。楚の頃襄王(けいじょうおう)(在位前296~261)の太子が秦の質となったのに付き従って秦に赴き、帰国して楚の相となった。頃襄王が病に侵されるや秦にはかって太子を帰国させ、考烈王(在位前261~237)として即位させた。楚は前279~278年の攻撃で秦に湖北、湖南を奪われ、以後東に都を移していたが、春申君は宰相となるや淮水(わいすい)の北の領地を任された。前279年以前に頃襄王が滅ぼした越(えつ)の江蘇(こうそ)の本拠(江東、呉)を、前250年に任され、子を派遣して統治させた。食客3000人を集めたといわれ、そのなかには荀子(じゅんし)もいた。考烈王が死去すると、権臣李園(りえん)のために一族もろとも殺害された。[平勢隆郎]

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