中国、戦国時代後期の楚(そ)の宰相。趙(ちょう)の平原君(へいげんくん)、魏(ぎ)の信陵君(しんりょうくん)とともに合従の軍を成立させて秦(しん)に対抗した(前257)ことで有名。これらに斉(せい)の孟嘗君(もうしょうくん)を加えて戦国四君と称される。氏は黄、名は歇(あつ、けつ)。楚の頃襄王(けいじょうおう)(在位前296~261)の太子が秦の質となったのに付き従って秦に赴き、帰国して楚の相となった。頃襄王が病に侵されるや秦にはかって太子を帰国させ、考烈王(在位前261~237)として即位させた。楚は前279~278年の攻撃で秦に湖北、湖南を奪われ、以後東に都を移していたが、春申君は宰相となるや淮水(わいすい)の北の領地を任された。前279年以前に頃襄王が滅ぼした越(えつ)の江蘇(こうそ)の本拠(江東、呉)を、前250年に任され、子を派遣して統治させた。食客3000人を集めたといわれ、そのなかには荀子(じゅんし)もいた。考烈王が死去すると、権臣李園(りえん)のために一族もろとも殺害された。
[平勢隆郎]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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