デジタル大辞泉 「楚」の意味・読み・例文・類語
そ【楚】
春秋戦国時代の国。戦国七雄の一。揚子江中流域を領有し、都は
五代十国の一。許州の
北宋滅亡後の1127年、金が宋の旧領に建国。1か月余りで滅亡。
春秋戦国時代の国。戦国七雄の一。揚子江中流域を領有し、都は
五代十国の一。許州の
北宋滅亡後の1127年、金が宋の旧領に建国。1か月余りで滅亡。



なり」とあって、叢木(にんじんぼく)を本義とする。〔詩、周南、漢広〕「言(ここ)に其の楚を刈る」、〔詩、王風、揚之水〕「束楚を
さず」、〔詩、小雅、楚茨〕「楚楚たるものは茨(し)」など、
棘(けいきよく)の類をいう。これを以て鞭笞(べんち)とするので、またむちの意となる。西周中期の金文〔
(じき)〕に「王の南征に從ひ、楚
を伐つ」とあって楚
を連言しており、楚をまた
ということもあった。〔春秋〕には、荘公以前は
、僖公以後は楚という。巫俗のさかんなところで、のち〔楚辞〕の文学がその地に生まれた。
木、しば、ばら。
(そ)に通じ、つらなる。
立〕楚 カカル・イヤシ・シタシ・タカシ・タシナム・イタム・シモト
▶・楚
▶・楚俘▶・楚夢▶・楚
▶・楚腰▶・楚謡▶・楚瀝▶・楚弄▶
楚・激楚・三楚・酸楚・辛楚・薪楚・
楚・凄楚・清楚・束楚・惻楚・痛楚・披楚・榜楚・
楚出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
①〔春秋・戦国〕?~前223 戦国の七雄の一つ。長江中流域を本拠とし,前7世紀以来北方に進出,春秋時代中期に五覇の一人荘王(そうおう)(在位前613~前591)を出してより,戦国時代中期の威王(在位前339~前329)まで,斉,晋,秦の諸国と覇を争った。前278年国都郢(えい)(湖北省)を秦に攻略されて以後,中心は北東に移動,前241年安徽(あんき)省寿春に遷都,ついに秦に滅ぼされた。楚は古くから王を称しており,中原の諸侯国とかなり風俗・言語を異にしていた。戦国末の『楚辞』はその地方色を示す文学作品。また寿春,長沙などに戦国時代の楚墓が発掘されている。
②〔五代十国〕927~951 五代十国の一つ。長沙を中心に湖南に拠った政権。馬殷(ばいん)が907年に後梁(こうりょう)から楚王に封じられて建国。茶栽培を奨励し,独自の貨幣制度を行って富を蓄えたが,政権は不安定で,951年南唐に滅ぼされた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
中国,春秋時代の侯国。戦国七雄の一つ。?-前223年。殷代には河南南西部にあり,西周時代には丹陽(湖北秭帰(しき)県)に都を置き,周と対峙し,周昭王の征伐を受けた。のち都を郢(えい)(湖北江陵県)に移す。春秋時代には湖北・河南南部を収め,北の晋と対立,前597年荘王は晋を泌(河南)で破り,一時覇権を握った。戦国時代にも南方の雄として,北の諸国と対立したが,秦の圧迫を避け,都を陳(河南淮陽(わいよう)県),鉅陽(きよよう)(安徽阜陽県),寿春(安徽寿県)と東に移し,前249年には魯を滅ぼした。しかし秦に抗することができず,前223年に滅ぼされた。《楚辞》の作者として知られる屈原は楚王の一族で,楚文化を代表する。
→春秋戦国時代
執筆者:伊藤 道治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、長江(ちょうこう/チャンチヤン)中流域に本拠をもち(都は郢(えい))、春秋戦国時代を通じて、華北の諸国と対立した国。春秋時代には湖北省を勢力圏として河南・安徽(あんき)両省に勢力を伸ばし、戦国時代にかけて湖南を勢力圏に加えていった。春秋中期以後、県の設置を通して地方を掌握し、陳(ちん)、鄭(てい)、宋(そう)など中原(ちゅうげん)諸国や山東の斉(せい)、山西の晋(しん)と対峙(たいじ)した。荘王や霊王(在位前540~前529)が名高い。春秋後期には、江蘇(こうそ)の呉(ご)やこれを滅ぼした越(えつ)と安徽方面で対立する。頃襄王(けいじょうおう)(在位前296~261)のとき、諸国が宋を滅ぼしにかかったのに参戦し、また越の本拠を何度もの攻撃でやっと攻略する。しかし、こうして東方計略に足をとられているすきに、前279~278年の攻撃で秦(しん)に湖北、湖南を奪われ、以後東に都を移した。前223年、秦に滅ぼされた。
[平勢隆郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…前半の大半の期間のことが魯国の年代記《春秋》に,後半のことが《戦国策》とよぶ書物に書かれているからである。前453年で二分するのは,春秋の大国晋の家臣であった韓・魏・趙の3代が主家を三分独立し,晋は事実上滅亡し,以後戦国の七雄といわれる韓・魏・趙・楚・斉・燕・秦の対立抗争の時代となるからである。
[歴史]
《史記》によれば,春秋初めには140余の小国が分立していたが,勢力のあったのは,魯(山東省曲阜),斉(山東省臨淄(りんし)),曹(山東省定陶),衛(河南省淇県,のち滑県),鄭(河南省新鄭),宋(河南省商丘),陳(河南省淮陽(わいよう)),蔡(河南省上蔡,のち新蔡,さらに安徽省鳳台),晋(山西省曲沃),秦(陝西省鳳翔,のち咸陽),楚(湖北省江陵,のち河南省淮陽,安徽省寿県),燕(北京市)の十二諸侯であり,洛陽には周王室があった。…
※「楚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...