コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

信陵君 しんりょうくんXin-ling-jun; Hsin-ling-chün

5件 の用語解説(信陵君の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

信陵君
しんりょうくん
Xin-ling-jun; Hsin-ling-chün

[生]?
[没]安釐王33(前244)
中国,戦国時代末期のの公子で戦国四君の一人。昭王の子で名は無忌。孟嘗君と同じく 3000人の食客を養ったという。が趙都邯鄲を攻めた安釐王 (あんきおう) 20 (前 257) 年に趙の平原君の依頼により,魏軍を率いて独断で秦を攻撃,兄安釐王の怒りに触れ,長く趙にいた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

しんりょう‐くん【信陵君】

[?~前243]中国、戦国時代の貴族。名は無忌。魏(ぎ)の昭王の子。門下に食客3000人を集めたという。の侵入に対抗し、これを函谷関に討って勇名を広めたが、流言によって失脚し失意のうちに病死。戦国の四君の一人。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

しんりょうくん【信陵君 Xìn líng jūn】

?‐前243
中国,戦国魏の政治家。姓は魏。名は無忌(ぶき)。魏の昭王の公子。安釐(あんき)王の弟,封ぜられて信陵君とよばれた。秦の昭王が趙の邯鄲(かんたん)を囲んだとき,王命を偽って出兵して趙を救ったり,また魏を秦から守って天下に威名をとどろかせた。のち秦の間諜の流言により魏王の疑惑を買い,蟄居ののち病死した。門下には食客3000人が集まり,斉の孟嘗君,楚の春申君,趙の平原君とともに戦国の四君と称せられた。《魏公子兵法》の編纂がある。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

しんりょうくん【信陵君】

?~前244) 中国、戦国時代の魏の王族。姓は魏、名は無忌。食客三千人を擁し、斉の孟嘗君らとともに戦国の四君に数えられる。秦が魏を攻めたとき、函谷関にこれを破って故国を救ったが、流言のため王に疎うとんぜられ、病死した。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

信陵君
しんりょうくん
(?―前243)

中国、戦国時代の魏(ぎ)の公子。昭王の子で、安釐(あんり)王の異母弟。本名は無忌(むき)で、信陵君は封号。門下に食客3000人を集めたといわれる侠客(きょうかく)で、斉(せい)の孟嘗君(もうしょうくん)、楚(そ)の春申君(しゅんしんくん)、趙(ちょう)の平原君(へいげんくん)とともに戦国の四君といわれる。武将としても著名で、紀元前257年、秦(しん)が趙の都邯鄲(かんたん)を囲んだとき、趙を救おうとし、その食客の計によって秦軍を破った。以後趙にとどまったが、前247年、秦が魏を攻めると、五国の兵を率いて秦を破り、故国を救った。晩年は秦の間者の流言で安釐王に疑われたため病と称して蟄居(ちっきょ)し、失意のまま没した。[太田幸男]
『司馬遷著、小川環樹他訳『史記列伝』全5冊(岩波文庫)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

信陵君の関連キーワード付合(法律)不二門 智光相対的貧困率たばこの税金公営の電気事業ヨシキリザメオンタリオ湖徒然草ノーベリウム徒然草

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone