デジタル大辞泉
「信陵君」の意味・読み・例文・類語
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しんりょう‐くん【信陵君】
- 中国戦国時代、魏の政治家。昭王の末子。名は無忌。信陵君はその封号。食客を三千人集め、斉の孟嘗(もうしょう)君、楚の春申君、趙の平原君と共に戦国の四君と称された。前二四三年没。
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信陵君 (しんりょうくん)
Xìn líng jūn
生没年:?-前243
中国,戦国魏の政治家。姓は魏。名は無忌(ぶき)。魏の昭王の公子。安釐(あんき)王の弟,封ぜられて信陵君とよばれた。秦の昭王が趙の邯鄲(かんたん)を囲んだとき,王命を偽って出兵して趙を救ったり,また魏を秦から守って天下に威名をとどろかせた。のち秦の間諜の流言により魏王の疑惑を買い,蟄居ののち病死した。門下には食客3000人が集まり,斉の孟嘗君,楚の春申君,趙の平原君とともに戦国の四君と称せられた。《魏公子兵法》の編纂がある。
執筆者:永田 英正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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信陵君
しんりょうくん
(?―前243)
中国、戦国時代の魏(ぎ)の公子。昭王の子で、安釐(あんり)王の異母弟。本名は無忌(むき)で、信陵君は封号。門下に食客3000人を集めたといわれる侠客(きょうかく)で、斉(せい)の孟嘗君(もうしょうくん)、楚(そ)の春申君(しゅんしんくん)、趙(ちょう)の平原君(へいげんくん)とともに戦国の四君といわれる。武将としても著名で、紀元前257年、秦(しん)が趙の都邯鄲(かんたん)を囲んだとき、趙を救おうとし、その食客の計によって秦軍を破った。以後趙にとどまったが、前247年、秦が魏を攻めると、五国の兵を率いて秦を破り、故国を救った。晩年は秦の間者の流言で安釐王に疑われたため病と称して蟄居(ちっきょ)し、失意のまま没した。
[太田幸男]
『司馬遷著、小川環樹他訳『史記列伝』全5冊(岩波文庫)』
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信陵君
しんりょうくん
Xin-ling-jun; Hsin-ling-chün
[生]?
[没]安釐王34(前243)
中国,戦国時代末期の魏の公子で戦国四君の一人。昭王の子で名は無忌。孟嘗君と同じく 3000人の食客を養ったという。秦が趙の都,邯鄲(かんたん)を攻めた安釐王(あんきおう)20(前257)年,趙の平原君の依頼により,魏軍を率いて独断で秦を攻撃,兄である安釐王の怒りを買い,長く趙にとどまった。のち帰国し秦の侵入を防いだが,秦の反間のため王にうとまれ,酒食におぼれ失意のうちに死んだ。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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