日本大百科全書(ニッポニカ) 「晏陽初」の意味・わかりやすい解説
晏陽初
あんようしょ
(1893―1990)
中国の社会教育運動家。四川(しせん)省巴中(はちゅう)県の人。香港(ホンコン)大学を卒業し、1916年アメリカのエール大学に留学。1918年フランスに渡り、YMCA(キリスト教青年会)の依頼で、フランスに送られた中国人労働者の教育にあたる。1919年アメリカに戻り、プリンストン大学の歴史学修士を取得。1920年帰国後、上海キリスト教青年会に新設された平民教育科を任され、国民の生活基礎は教育にあるという信念で、湖南(こなん)・広東(カントン)・浙江(せっこう)・山東(さんとう)諸省の識字・平民教育運動を行い、1923年陶行知らと北京(ペキン)に中華平民教育促進会を設けて総幹事となった。その後、農民工作、いわゆる「郷村建設」に転じ、1926年には河北(かほく)省定県に農村教育実験区をつくり、1934年国民政府の支持のもとに河北省県政建設研究院長となった。定県の工作は、文芸、生計、公民、衛生の4大教育と、学校、社会、家庭の3教育方式を特色とし、欧米にも知られた。1948年農村復興合同委員会委員となる。1949年の新中国成立にあたっては、台湾に逃れ、1950年アメリカに渡り、ユネスコ顧問などを務めた。1952年フィリピンに招かれて農村建設に従事した。これ以後、タイ、グアテマラ、コロンビア、ガーナといった国々でも、農村改造促進会を設立する手助けをした。1967年フィリピンのカビテで国際農村改造学院を創立し、院長となった。
[深澤一幸]