曾能郷(読み)そのごう

日本歴史地名大系 「曾能郷」の解説

曾能郷
そのごう

和名抄」諸本とも訓はない。現吉備郡真備まび町域に含まれる近世その村の地域に比定されている。「日本書紀」応神天皇二二年九月一〇日条に、御友別の兄で苑臣の祖の浦凝別をその県に封じたとある。この記事から当郷を苑県の地とし、苑(薗)臣の本拠とする説がある。もとより確定はできないが、蓋然性は高いといえる。推定郷域内の岡田おかだ岡田廃寺がある。礎石のほか吉備寺式瓦の退化した形態を示す軒丸瓦などが出土しており、七世紀終末から八世紀の初め頃にかけての創建と考えられる。当郷が薗臣の本拠とすれば同氏の氏寺といえよう。「備中国風土記」逸文に、天平六年(七三四)賀夜郡少領であった従七位下勲一二等薗臣五百国が、備中国司や賀夜郡大領らとともに駅路(山陽道)に「御宅」を新造したとある。

曾能郷
そのごう

「和名抄」諸本にみえる郷名。訓は不明だが、ソノであろう。式内社鹿かその神社との関係が指摘されるが、比定地は定説がない。「日本地理志料」は二宮にのみや西島にしじまなどの五村、すなわち現磐田市二之宮にのみやから西島にかけての地、「大日本地名辞書」は不詳としつつ二俣ふたまた町大字大園おおその(現天竜市)、旧版「静岡県史」は「高園・中園」の小字を根拠園田そのだ中川なかがわ(現森町中川)を候補地とする。

曾能郷
そのごう

「和名抄」所載の郷。諸本ともに訓を欠くが、備中国の同名郷などと同じく訓はソノで、原表記は苑であろう。「日本地理志料」は神流かんな川右岸の現上里かみさと町の金久保かなくぼ(金窪)勅使河原てしがわら周辺にあて、「大日本地名辞書」も他郷との位置を対照し、中村なかむら郷の北、小嶋おじま郷の西と推定して、上里町北部の神流川右岸にあてている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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