曾谷村(読み)そやむら

日本歴史地名大系 「曾谷村」の解説

曾谷村
そやむら

[現在地名]市川市曾谷一―八丁目・宮久保みやくぼ一丁目

稲越いなこし村の南に位置する。台地上に集落畑地があり、同台地に入り込む小支谷に田地が開ける。南は宮久保村。中世には曾谷郷と称し、八幡やわた庄のうち。蘇谷とも書いた。日蓮檀越として有名な曾谷教信は曾谷郷が苗字の地であったと思われる。中世の曾谷郷には秋山あきやま(現松戸市)なども含まれていた。元亨三年(一三二三)五月一日千葉胤貞は真間の弘法ままのぐぼう寺に「蘇谷郷内長福寺・新福寺・観音堂」の三ヵ所の敷地免田などを寄進している(「千葉胤貞寄進状」弘法寺文書)。延文三年(一三五八)五月三日の日樹置文(同文書)によると、「曾谷・秋山」などの僧俗弘法寺の毎月一三日・一五日の講会を勤仕していた。胤貞は元弘元年(一三三一)に蘇谷郷秋山村内の田地二町・在家三宇を中山法華経寺日祐に譲与しており(元徳三年九月四日「千葉胤貞譲状」中山法華経寺文書)、同郷内には法華経寺領も存在した。


曾谷村
そだにむら

[現在地名]鶴来町曾谷町

手取川扇状地の扇央部東縁に位置し、南は坂尻さかじり村。村内を南北鶴来往来が通り、西部富樫とがし用水の分流あら川が北流。また、くらヶ岳のおお池に水源をもつ大谷おおたに川が北西流する。正保郷帳に村名がみえ高五四六石余、田方二九町六反余・畑方六町七反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(曾谷町区有文書)の高六二四石、免六ツ三歩、小物成は山役四九五匁、油役一九匁(退転)、蝋役五匁、鳥役五匁(鷹場につき免除)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android