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服部中庸 はっとり なかつね

美術人名辞典の解説

服部中庸

国学者。伊勢松阪の人。京都住。姓は源、号は水月・水月庵。通称義内、箕田氏、渡辺氏、幼名和介。本居宣長門、紀州侯に仕え与力を勤める。医を業とする。文政7年(1824)歿、68才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

服部中庸 はっとり-なかつね

1757-1824 江戸時代中期-後期の国学者。
宝暦7年7月16日生まれ。紀伊和歌山藩領伊勢(いせ)(三重県)松坂城代の与力。本居宣長(もとおり-のりなが)の門人。天地の生成を論じた「三大考」をあらわし,宣長の「古事記伝」に付録としてつけられる。その説は平田篤胤(あつたね)にうけつがれた。文政7年3月14日死去。68歳。通称は義内。号は水月。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

服部中庸

没年:文政7.3.14(1824.4.13)
生年:宝暦7.7.16(1757.8.30)
江戸後期国学者。紀伊藩士。通称義内。号水月。服部三右衛門時中の長子。伊勢(三重県)松坂の人で家は代々藩に仕えた。天明7(1787)年,31歳のとき父の跡株に召し抱えられ,支配勘定格御勝手方を経て松坂城代与力まで進んだ。妻の死もあって文化5(1808)年致仕。出家して水月庵茂翁,箕田水月と名乗り京都に住んだ。国学者としては天明5年,29歳のとき本居宣長に入門。やがて天地泉の生成を記紀などを解釈の基礎として図解した『三大考』を著した。これは宣長の賞賛を得て『古事記伝』十七に付載され,平田篤胤の主著『霊能真柱』に影響を与えた。のちに中庸は篤胤と意気投合して義兄弟の杯を交わしている。<参考文献>中西正幸「服部中庸の生涯」(『神道宗教』75~79号)

(飯倉洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

はっとりなかつね【服部中庸】

1756‐1824(宝暦6‐文政7)
江戸中期の国学者。通称義内,号は水月。伊勢松坂の人。医を業とするとともに,本居宣長に学ぶ。《古事記》《日本書紀》の天地開闢神話の考察を試み,《三大考》をあらわした。宣長はそれを《古事記伝》巻十七の付録とした。三大とは天(あめ),地(つち),泉(よみ)のことで,それらの生成と構造について図を用いて説明している。記紀の神話の宇宙像と神々との関係も論じられている。平田篤胤はその著《霊能真柱(たまのみはしら)》に《三大考》を引用して,死後の霊魂のゆくえを論じた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

服部中庸
はっとりなかつね

[生]宝暦7(1757).伊勢,松坂
[没]文政7(1824).2.23.
江戸時代後期の国学者。箕田または水月と号し,通称は義内。松坂で医を業とし,本居宣長の門に入り,古学を学んだ。「記紀」の神話のなかから,天,地,泉の成り立ちを読み出そうとした『三大考』 (1791成立) は大いに宣長の意を得,『古事記伝』の付録として特別に添えられた。ほかに『七大考』の著もある。

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367日誕生日大事典の解説

服部中庸 (はっとりなかつね)

生年月日:1757年7月16日
江戸時代中期;後期の国学者
1824年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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