デジタル大辞泉
「木更津甚句」の意味・読み・例文・類語
きさらづ‐じんく【木更津甚句】
民謡の一つで、安政(1854~1860)ごろ、木更津出身の落語家木更津亭柳勢が寄席で歌い広めたもの。船頭たちの船唄がもとといわれる。
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きさらづ‐じんく【木更津甚句】
- 〘 名詞 〙 民謡。上総国(千葉県)に起こる。安政(一八五四‐六〇)頃木更津出身の落語家木更津亭柳勢が寄席でうたい広めたもの。漁師唄の掛け声を取り入れた囃し詞が特色。
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木更津甚句 (きさらづじんく)
東京湾に面した港町千葉県木更津の三味線歌。江戸往還にうたった船歌をもとに,幕末ごろ木更津出身の噺家柳勢が江戸の高座でうたい出したのが前身という。一時廃絶しそうであったが,大正年間東京新橋の花柳界でうたわれて再び流行し,全国的に知られるようになった。元唄的な〈木更津照るとも東京は曇れ(お江戸は曇る)〉の歌詞に,天候を気にした海や船を職場とする人たちの生活のなごりが考えられる。
執筆者:仲井 幸二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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木更津甚句
きさらづじんく
千葉県木更津地方で歌われてきた民謡。もともとは江戸時代末期、江戸の花柳界ではやっていた「二上り甚句」で、それが港町の木更津の漁師たちに、地引網漁の掛け声も入れて歌われるようになった。さらに木更津生まれの噺(はなし)家、木更津亭柳勢が現在のような形にまとめあげ、これを安政(あんせい)年間(1854~60)江戸の寄席(よせ)で繰り返し歌ってはやらせた。柳勢が没して一時は廃れたが、木更津の料亭松川楼の女将露崎せきが覚えていた『木更津甚句』を芸者の若福に教え、その若福が東京・新橋烏森(からすもり)の花柳界に出て、またはやらせた。江戸の粋(いき)なところと港町木更津の気っぷのよさとが溶け合っている唄である。
[斎藤 明]
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