本佐倉城(読み)もとさくらじょう

日本の城がわかる事典 「本佐倉城」の解説

もとさくらじょう【本佐倉城】

千葉県印旛郡酒々井(しすい)町と佐倉市にまたがる一帯にあった山城(やまじろ)。千葉県内の城郭としては唯一の国指定史跡で、千葉氏が後期に本城とした城である。1455年(康正1)、馬加城(まくわりじょう)(千葉市花見川区)を本拠としていた千葉一族の馬加康胤重臣の原胤房とともに千葉氏の本城である亥鼻城(千葉市中央区)を攻め、宗家の家督を奪ったが、将軍足利義政の命により東常縁の追討を受け、その戦いの陣中で没した。その後、康胤の子とされる千葉輔胤が古河公方足利成氏と結んで下総を平定したことから千葉宗家の家督を継いだ(輔胤が康胤の子とされるが、異説もある)。輔胤は本佐倉城を築き、亥鼻城から本城を移した。千葉氏は1590年(天正18)の小田原の役の後、豊臣秀吉により改易とされ滅亡するが、輔胤以降9代にわたって、千葉氏当主は本佐倉城を居城とした。千葉氏の改易後、同城は徳川氏に接収され、いったんは廃城となったが、1610年(慶長15)に小笠原吉次土井利勝が本佐倉城に入って再興され、佐倉藩の藩庁が置かれた。しかし、土井利勝により1610年(慶長15)から建設が進められていた佐倉城(佐倉市)が1615年(元和1)に完成したことから、藩庁は佐倉城に移り、本佐倉城は一国一城令により廃城となった。本佐倉城は印旛沼に接した標高36mの台地の上に築かれ、東西700m、南北800m(面積35万m2)に及ぶ規模の大きな城だった。御殿馬場があった内郭土塁空堀で仕切られ家臣屋敷などがあった外郭からなり、その外側には城下町が形成されていた。城跡には土塁や空堀などの遺構がほぼ完全な姿で残っている。JR成田線酒々井駅から徒歩約20分。◇将門山城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の本佐倉城の言及

【佐倉[市]】より

…【菊地 利夫】
[佐倉城下]
 鎌倉以来の名族千葉氏は,文明年間(1469‐87)に本拠を佐倉に移し,城下町を整備したといわれる。ここは現在本佐倉城と呼ばれる地(大部分は酒々井(しすい)町内)で,千葉介孝胤以後,滅亡まで8代がここを本城とした。1590年(天正18)豊臣秀吉の小田原攻めに,千葉介重胤は後北条氏配下として小田原城に籠城し,敗れて千葉氏は滅亡,佐倉城も落城した。…

※「本佐倉城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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