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佐倉城 さくらじょう

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日本の城がわかる事典の解説

さくらじょう【佐倉城】

千葉県佐倉市にあった江戸時代の平山城(ひらやまじろ)。同市史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。鹿島川、高崎川、印旛沼に囲まれた鹿島山の西端に築かれ、佐倉藩の藩庁が置かれた。この城は戦国時代に本佐倉城(同市)の千葉親胤が大叔父の鹿島幹胤に命じて築城を開始したが、幹胤が暗殺されて工事は中断。その後も何度か工事が再開されたが未完のまま、1590年(天正18)の小田原の役で千葉氏は滅亡した。1610年(慶長15)、徳川家康の命を受けた土井利勝が工事を再開して城を完成させた。一説には、家康自身が同城の縄張りを行ったともいわれる。土井氏が古河城に移った後、城主は石川氏、松平氏、堀田氏と変わり、堀田氏が6代続いて明治維新を迎えた。いずれも老中など幕府要職を務める者が同城の城主(藩主)となった。城内には3層の天守をはじめ銅櫓(あかがねやぐら)、角櫓、本丸御家形(本丸御殿)、9つの城門があり、本丸までは4層5重の空堀、土塁、馬出し、枡形などが配置されていた。しかし、天守は1813年(文化10)、盗賊の失火により焼失したといわれている。明治に入り廃藩置県・廃城令により廃城となり、城の建物が撤去され、さらに陸軍歩兵第2連隊(のちに57連隊、通称・佐倉連隊)の駐屯地となったため、かつての遺構はさらに失われてしまった。現在、城跡は緑豊かな佐倉城址公園や国立歴史民俗博物館の敷地などになっており、公園内には曲輪(くるわ)、土塁、馬出し、空堀、水堀、天守台、門跡などの遺構が残っている。天守跡には樹齢400年の「夫婦モッコク」(同県天然記念物)がある。JR総武本線佐倉駅から徒歩約25分、または同駅からバスで国立博物館入口あるいは国立歴史民俗博物館前下車、徒歩約5分。京成本線京成佐倉駅から徒歩約20分、または同駅からバスで国立博物館入口あるいは国立歴史民俗博物館前下車、徒歩約5分。

出典|講談社
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デジタル大辞泉の解説

さくら‐じょう〔‐ジヤウ〕【佐倉城】

千葉県佐倉市にあった城。土井利勝が慶長16年(1611)から元和2年(1616)にかけて築城。現在、跡地に国立歴史民俗博物館が建つ。

出典|小学館
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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションの解説

さくらじょう【佐倉城】

千葉の日本酒。酒名は、かつて当地にあった佐倉藩の城郭に由来。佐倉産のコメを原料に醸造。原料米は総の舞。仕込み水は敷地内に湧出する天然水。すっきりとした味わいの辛口の純米酒。蔵元の「旭鶴」は天保元年(1830)創業。所在地は佐倉市馬渡。

出典|講談社
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世界大百科事典内の佐倉城の言及

【佐倉[市]】より

…市域は印旛沼の南岸,鹿島川の低湿地と両総台地にまたがる。江戸時代は江戸城の東を守る要所として重視され,1610年(慶長15)入封した土井利勝が鹿島台に佐倉城を築城,城下町を建設した。その後領主はめまぐるしく代わったが,1746年(延享3)老中堀田正亮が10万石(のち11万石)で入封,以後廃藩まで堀田氏の支配が続く。…

※「佐倉城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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