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杉村楚人冠 すぎむら そじんかん

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美術人名辞典の解説

杉村楚人冠

ジャーナリスト・随筆家。和歌山県生。本名は広太郎、別号に縦横。朝日新聞に入社後、「アサヒグラフ」の創刊に携わった。昭和20年(1945)歿、74才。

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デジタル大辞泉の解説

すぎむら‐そじんかん〔‐ソジンクワン〕【杉村楚人冠】

[1872~1945]新聞記者・随筆家。和歌山の生まれ。本名、広太郎。東京朝日新聞に入社し新聞事業の近代化に尽力。著「最近新聞紙学」「へちまの皮」など。

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百科事典マイペディアの解説

杉村楚人冠【すぎむらそじんかん】

新聞記者,評論家,随筆家。和歌山市生れ。本名広太郎。別号縦横,四角八面生など。英吉利法律学校(現,中央大学)卒業後《和歌山新報》主筆に。再上京して自由神学校卒業,米国公使館での翻訳・通訳などを経て,《東京朝日新聞》に入社。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

杉村楚人冠 すぎむら-そじんかん

1872-1945 明治-昭和時代前期のジャーナリスト,随筆家。
明治5年7月25日生まれ。36年東京朝日新聞社に入社。40年ロンドン特派員となり,連載「大英游記」を執筆。帰国後,調査部・記事審査部の設置,縮刷版の発行,「アサヒグラフ」の創刊などにかかわった。昭和20年10月3日死去。74歳。和歌山県出身。自由神学校卒。本名は広太郎。別号に縦横。随筆に「へちまの皮」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

すぎむらそじんかん【杉村楚人冠】

1872‐1945(明治5‐昭和20)
ジャーナリスト。本名広太郎。筆名はほかに,縦横,四角八面生,涙骨など多数。和歌山市谷町に生まれ,1887年英吉利(イギリス)法律学校(中央大学の前身),96年ユニテリアン派の自由神学校を卒業。仏教改革のために活動後,1903年12月,東京朝日新聞社に入社し,15年サンフランシスコの世界新聞人大会に代表として出席,第1次世界大戦後はロンドン特派員として活躍した。社内に調査部,記事審査部をおくことを提言し,新聞社機構の近代化につとめた。

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大辞林 第三版の解説

すぎむらそじんかん【杉村楚人冠】

1872~1945) 新聞記者。本名、広太郎。和歌山市生まれ。東京朝日新聞で活躍、名文家として知られた。著「最近新聞紙学」ほか、軽妙な随筆・紀行文を多く残す。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

杉村楚人冠
すぎむらそじんかん

[生]明治5(1872).8.28. 和歌山
[没]1945.10.3. 千葉
『朝日新聞』記者,随筆家。本名は広太郎。英吉利法律学校を卒業後,1903年朝日新聞社に入社。紙上に連載した『大英遊記』の名文で好評を博した。調査部や記事審査部を社内に設け,縮刷版や『アサヒグラフ』を創刊するなど,新聞事業の進歩にも尽くした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

杉村楚人冠
すぎむらそじんかん
(1872―1945)

明治・大正期の新聞記者、随筆家。本名広太郎。別号は縦横など。明治5年8月28日和歌山生まれ。英吉利(イギリス)法律学校(現、中央大学)、国民英学会に学んだのち、『和歌山新報』主筆となる。再上京し、自由神学校(のち先進学院)を卒業。さまざまな雑誌の編集などに従事。新仏教運動に参加し、高島米峰(べいほう)らと仏教清徒同志会を結成。1900年(明治33)雑誌『新仏教』を創刊。アメリカ大使館に勤務し翻訳などにあたる。1903年東京朝日新聞社に入社。当初は外電翻訳などを担当していたが、しだいに幅広い記者活動に転じた。日露戦争前後には『平民新聞』を支援するなど社会主義運動に接近したが、同情者の域は出なかった。1907年イギリスに特派される。このとき欧米の新聞事業を研究し、帰国後は欧米の企業化した新聞事業を朝日新聞社に移植するのに尽力した。調査部・記事審査部の設置、縮刷版の発行、『アサヒグラフ』の発刊は杉村の提案という。朝日新聞社監査役、相談役などを歴任。軽妙な随筆、小説をも得意としたが、『最近新聞紙学』(1915)など新聞に関する著書も多い。昭和20年10月3日死去。[有山輝雄]
『『楚人冠全集』全18巻(1937~1943・日本評論社) ▽『最近新聞紙学』再刊(1970・中央大学出版部) ▽美土路昌一著『杉村楚人冠』(『三代言論人集8』所収・1963・時事通信社)』

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世界大百科事典内の杉村楚人冠の言及

【週刊朝日】より

…1922年,《東京朝日新聞》の杉村楚人冠が発議し,《大阪朝日新聞》の鎌田敬四郎が計画をたて,同年2月25日《旬刊朝日》を創刊した。これには,毎日新聞社が週刊の雑誌を発行することを察知し,対抗上,急きょ企画,発行された事情がある。…

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