村松亀一郎(読み)ムラマツ カメイチロウ

20世紀日本人名事典 「村松亀一郎」の解説

村松 亀一郎
ムラマツ カメイチロウ

明治〜昭和期の政治家,自由民権運動家 衆院議員(民政党)。



生年
嘉永6年1月5日(1853年)

没年
昭和3(1928)年9月22日

出生地
陸奥登米郡西郡村(宮城県東和町)

学歴〔年〕
法律学舎

経歴
法律学舎に学び、代言人となる。明治12年仙台に法律学会を設立、東北七州会を組織、自由民権を鼓吹した。13年大阪で愛国社により、片岡健吉、河野広中らと国会開設請願書を政府に提出。仙台に本立社を設立して民権論を唱えた。22年仙台市会議員、同議長、27年宮城県会議員、同議長などを経て、25年以来衆院議員当選9回。進歩党から改進党憲政党憲政本党国民党同志会、民政党と移った。代議会長、顧問を務め、大正8年選挙権拡張問題が起こると普選論を主張した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「村松亀一郎」の解説

村松 亀一郎
ムラマツ カメイチロウ


肩書
衆院議員(民政党)

生年月日
嘉永6年1月5日(1853年)

出生地
陸前国登米郡錦織村(宮城県東和町)

経歴
明治12年仙台に法律学会を設立、東北七州会を組織、自由民権を鼓吹した。13年大阪で愛国社により、片岡健吉、河野広中らと国会開設請願書を政府に提出。仙台に本立社を設立して民権論を唱えた。22年仙台市会議員、同議長、市参事会員、27年宮城県会議員、同議長を経て、24年以来衆院議員当選12回。進歩党から改進党、憲政党、憲政本党、国民党、同志会、民政党と移った。代議会長、顧問を務め、大正8年選挙権拡張問題が起こると普選論を主張した。

没年月日
昭和3年9月22日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村松亀一郎」の解説

村松亀一郎 むらまつ-かめいちろう

1853-1928 明治-昭和時代前期の政治家。
嘉永(かえい)6年1月生まれ。東京の法律学舎でまなび,弁護士となる。自由民権をとなえ,若生精一郎らと仙台に本立社を設立。明治13年その総代として愛国社大会に出席,国会開設運動を推進した。25年衆議院議員(当選9回,民政党)。昭和3年9月22日死去。76歳。陸奥(むつ)登米郡(宮城県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「村松亀一郎」の解説

村松亀一郎

没年:昭和3.9.22(1928)
生年:嘉永6.1(1853)
明治大正期の政党政治家,民権家。陸奥国登米郡西郡村(宮城県登米郡東和町錦織)に出生。法律学舎に学び代言人となる。愛国社の国会願望書起草委員となり,福島事件(1882)にも連座。宮城県会議員,同議長などを務め,第2回総選挙で,衆院議員に当選,以後9期を務める。一貫して反立憲政友系だった。

(村瀬信一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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