コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

村瀬栲亭 むらせ こうてい

美術人名辞典の解説

村瀬栲亭

江戸後期儒者。京都生。名は之熙、字は君績、別号に神洲、土岐中書と称する。儒学を武田梅龍に学び秋田侯に仕える。文政元年(1818)歿、75才(一説に73才)。

出典|(株)思文閣美術人名辞典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

むらせ‐こうてい〔‐カウテイ〕【村瀬栲亭】

[1744~1819]江戸後期の儒学者。京都の人。名は之煕(ゆきひろ)。字(あざな)は君績(くんせき)。栲亭は号。武田梅竜に古注学を学ぶ。秋田藩に仕えて藩政に関与。晩年は官職を辞して京都に戻った。博学で知られ、詩文ともに優れた。著作に「芸苑日渉」「栲亭稿」など。

出典|小学館デジタル大辞泉について | 情報 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

村瀬栲亭 むらせ-こうてい

1744-1819* 江戸時代中期-後期の儒者。
延享元年5月21日生まれ。武田梅竜にまなぶ。天明3年(1783)出羽(でわ)久保田藩(秋田県)にまねかれ,藩政に参加。晩年は京都にもどる。詩文,書にすぐれ,考証随筆「芸苑日渉」12巻がある。文政元年12月6日死去。75歳。京都出身。名は之煕(ゆきひろ)。字(あざな)は君績。通称は嘉右衛門。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

村瀬栲亭

没年:文政1.12.6(1819.1.1)
生年:延享1.5.21(1744.7.1)
江戸時代後期の漢学者。京都の人。名は之煕,字は君績,通称は掃部,嘉右衛門など。栲亭は号。本姓は源。医を堀元昌,儒を武田梅竜に学ぶ。明和3(1766)年,師梅竜のあとをうけ,妙法院門跡の侍講となるが,のちに病をもって辞す。天明3(1783)年,秋田藩より聘され,世子侍読となる。その後,藩政に参与,総奉行上席に任命され,改革にとりかかるが挫折。寛政3(1791)年には隠居,京都に帰り文人としての生活をおくる。詩文,書画をよくし,考証随筆『芸苑日渉』にその博識ぶりが窺える。<参考文献>妹尾和夫『村瀬栲亭』

(高橋昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

大辞林 第三版の解説

むらせこうてい【村瀬栲亭】

1746~1818) 江戸後期の儒者・漢詩人。京都の人。名は之熙、字あざなは君績、栲亭は号。武田梅竜に師事して古注学を修めた。詩文ともにすぐれた文人として知られる。著「栲亭稿」「芸苑日渉」ほか。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

村瀬栲亭
むらせこうてい
(1746―1819)

江戸中期の儒学者。延享(えんきょう)3年京都に生まれる。名は之煕(ゆきひろ)、字(あざな)は君績(くんせき)、通称嘉右衛門(かえもん)。栲亭と号す。折衷派の武田梅龍(たけだばいりゅう)(1716―1766)について『管子(かんし)』を学ぶ。考証を重んじ博学にして、中年以後はとくに詩文書画をよくした。秋田侯佐竹氏に召されて藩儒となり、挙藩の敬服を受けた。晩年辞して京都に帰り、文政(ぶんせい)元年12月6日没す。著書は『栲亭文集』『論語集義』『管子補註(ほちゅう)』『芸苑日渉(げいえんにっしょう)』『楓樹詩纂(ふうじゅしさん)』その他がある。[渡部正一]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

367日誕生日大事典の解説

村瀬栲亭 (むらせこうてい)

生年月日:1744年5月21日
江戸時代中期;後期の漢学者
1819年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

村瀬栲亭の関連キーワード田能村竹田市岡智寛皆川淇園羽倉可亭上田秋成香山適園生年月日梅辻春樵石川竹厓中島棕隠煎茶道枕雲日謙

今日のキーワード

分水嶺

1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。2 《1が、雨水が異なる水系に分かれる場所であることから》物事の方向性が決まる分かれ目のたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android