東ルメリア(読み)ひがしるめりあ(英語表記)Eastern Rumelia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「東ルメリア」の意味・わかりやすい解説

東ルメリア
ひがしるめりあ
Eastern Rumelia

1878年3月のサン・ステファノ条約で成立した大ブルガリアが、同年9月のベルリン条約で3分割されて生まれたオスマン帝国の自治州。現在のブルガリアのバルカン山脈以南の地域にほぼ相当する。オスマン帝国政府が任命し列強の承認するキリスト教徒知事が統治し、州都プロブディフに置かれた。1885年、東ルメリア併合運動が起き、蜂起(ほうき)にまで発展し、同年9月にブルガリアとの併合が宣言され、一方ブルガリア国王アレクサンダルも国民の熱狂に押されてこれを承認した。その結果、大国利害が絡んで緊張が高まり、ブルガリア・セルビア戦争が起こったがブルガリアが勝利し、1886年のブカレスト条約で併合が事実上承認された。

[寺島憲治]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東ルメリア」の意味・わかりやすい解説

東ルメリア
ひがしルメリア
Iztochna Rumeliya; Eastern Roumelia

ブルガリアのバルカン山脈 (スタラプラニナ山脈) 以南で,ロドピ山脈以北のマリツァ川流域の歴史的名称。中心都市プロブディフ (旧フィリッポポリス) 。もとオスマン帝国の支配下にあったが,1878年ベルリン会議によって同帝国の自治行政州となり,この名称が使われた。当時の住民数は約 80万で大半ブルガリア人。 85年に起った反乱を機としてブルガリアと合併 (南ブルガリア) ,今日にいたる。「ローマ人の土地 (ビザンチン帝国領) 」を意味するトルコ語「ルミリ」に由来

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