東串良(読み)ひがしくしら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「東串良」の意味・わかりやすい解説

東串良(町)
ひがしくしら

鹿児島県南東部、肝属郡(きもつきぐん)にある町。1932年(昭和7)町制施行。国道220号、448号が通じる。肝属平野中央部の平坦(へいたん)地を占め、東は志布志湾(しぶしわん)に臨む。6世紀ごろのものとされる国指定史跡唐仁古墳群(とうじんこふんぐん)など約140基の古墳がある。中世の肝付(きもつき)氏による支配ののち近世には島津氏の直轄地柏原港(かしわばるこう)は米の移出琉球(りゅうきゅう)貿易で栄えた。主産業の農業は米作のほか野菜の施設園芸が盛んで、とくにキュウリピーマンは出荷安定法による指定産地になっている。白砂松林の続く砂丘地は日南海岸国定公園に属するが、国家石油備蓄基地が建設された。面積27.78平方キロメートル、人口6237(2020)。

[白石太良]

『『東串良郷土誌』(1980・東串良町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「東串良」の意味・わかりやすい解説

東串良[町] (ひがしくしら)

鹿児島県東部,肝属(きもつき)郡の町。人口6802(2010)。大隅半島頸部に位置し,東は志布志湾に面する。町域の大半は沖積低地シラス台地からなり,南境を肝属川が,西境をその支流串良川が流れる。国道220号線が通じる。肝属川河口付近に唐仁(とうじん)古墳群(史)がある。中世以来この地を支配した肝付氏が,天正年間(1573-92)に移封されてからは島津氏の所領となる。江戸時代には,肝属川河口の柏原(かせばる)は,米の積出しや琉球などとの貿易の港として栄えたが,今は漁港で,志布志国家石油備蓄基地が地先にある。明治末期には大規模な耕地整理が行われ,それまでの低湿地は二毛作さえ可能な良田となった。米作を中心にスイカ,キュウリなどの施設園芸が行われており,台地上では肉牛の飼育が盛ん。海岸部は日南海岸国定公園に属する。
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百科事典マイペディア 「東串良」の意味・わかりやすい解説

東串良[町]【ひがしくしら】

鹿児島県大隅半島北東部,志布志(しぶし)湾に臨む肝属(きもつき)郡の町。肝属川河口の柏原(かしわばる)は江戸時代,米の積出し,琉球貿易で栄えたが現在は小漁港。米作,キュウリ,ピーマンなど野菜栽培を行うほか,沿岸漁業も営む。海岸は日南海岸国定公園の一部。27.78km2。6802人(2010)。

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