日本歴史地名大系 「東光寺村」の解説
東光寺村
とうこうじむら
東流する
慶長古高帳では高四七九石余、ほかに権現領七斗余がある。伝存する慶長六年(一六〇一)の検地帳(県立図書館蔵)四冊によれば屋敷は九反余。同一四年には正清斎(坂田与一左衛門)が当村四七九石余の代官に任じられ、枯流検見差引のうえ収納するよう命じられた(「徳川家代官連署手形」坂田家文書)。
東光寺村
とうこうじむら
東光寺村
とうこうじむら
東光寺村
とうこうじむら
周囲に水田が広がり、南を
正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の田舎郡の新田に藤光寺村とあり、高一二二・一五石。貞享四年(一六八七)の検地帳に村高一三三二・五八五石、うち田方一一七町四反一畝一二歩、一三一五・六一七石、畑方二町六反五畝二五歩、一六・九六八石とあり、ほかに漆木一四本、八幡社地二畝歩とある。元禄三年(一六九〇)には田舎館組に属し、村位は上(平山日記)。天保五年(一八三四)の郷村帳によれば、寛政七年(一七九五)に二八四・二石、享和二年(一八〇二)に一九四石、文化五年(一八〇八)に一六九・五石の新田高が書上げられている。
東光寺村
とうこうじむら
東光寺村
とうこうじむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報