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東欧諸国の体制転換 とうおうしょこくのたいせいてんかん

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知恵蔵2015の解説

東欧諸国の体制転換

1989年から90年にかけて、40年に及ぶ東欧諸国の社会主義政権が相次いで否定された事件。東欧革命とも称される。体制転換の牽引国となったのはハンガリーポーランド。ハンガリーでは70年代からカーダールのもとで漸進的な経済改革が試みられ、80年代に入るといっそう進み、国際化、市場化を目指す改革が始められた。私的経営や小規模協同組合の設立も促進された。ポーランドでは、70年代の対外債務の圧迫で経済状況が悪化し、80年夏に食料品値上げに対して全国的なストライキが生じた。ストライキ委員会が連帯したため、政府も譲歩を迫られた。政府は労働者側との協定(グダンスク協定)で労組活動の自由など21項目の要求を認めた。連帯の名で知られる自主管理労組が全国的に組織された。社会主義体制下で、共産党の支配の及ばない社会の領域が存在することになった。しかし、経済状況はますます悪化し、ソ連の軍事介入が懸念される中で、81年12月に軍人出身のヤルゼルスキ首相が戒厳令を施行。連帯のワレサ議長ら指導者は逮捕され、連帯は非合法化された。ポーランドの改革の動きは押しとどめられたが、ハンガリーでも、この時期には共産党の保守派の抵抗により改革が停滞した。85年にソ連でペレストロイカ路線をとるゴルバチョフ政権が成立すると、ブレジネフドクトリン(制限主権論)が廃止され、ソ連と東欧諸国との関係は大きく変化。東欧諸国はソ連との関係の枠内で改革を進める必要がなくなった。ポーランドの連帯運動が再生し、88年には各地でストライキが繰り返された。89年2月、連帯の存在を無視できなくなった政府は円卓会議を開き、連帯との間で政治と経済の改革案をまとめた。同年6月の自由選挙で連帯が圧勝し、9月にはマゾビエツキを首相とする非共産主義政権が誕生した。ハンガリーでは、改革派が共産党の政治的威信と道義的権威の回復を目指し、自浄能力を発揮すべく改革に取り組んだがうまくいかなかった。89年に入るといくつもの野党が結成され、共産党は野党勢力を公認、ポーランド方式の円卓会議を開催した。6月には、共産党は民主集中制の原則を放棄し、9月には党と政府の分離を宣言、10月には社会党に自己改革。国名はハンガリー共和国に変更された。ポーランドとハンガリーの体制転換は東欧諸国に衝撃を与えた。10月から12月にかけて、東ドイツ、暴力を伴わずビロード革命と称されたチェコスロバキア、さらにブルガリアルーマニアの共産党政権が相次いで崩壊した。この流れは90年に入ると、ソ連圏の外にあったユーゴアルバニアにも多大な影響を及ぼした。

(柴宜弘 東京大学教授 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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