東金街道(読み)とうがねかいどう

百科事典マイペディア 「東金街道」の意味・わかりやすい解説

東金街道【とうがねかいどう】

御成(おなり)街道などとも呼ばれる。近世初期に造成され,下総国船橋宿から藤崎(ふじさき)村,天戸(あまど)村,犢橋(こてはし)村,中田(なかつた)村,上砂(かみいさご)村を経て上総国東金に至る道で,ほぼ直線であったという。さらに東金から九十九里浜に延びる御成新道があった。新道も含め,1613年に下総佐倉藩主土井利勝が三日三晩で造成したと伝える。この道普請鷹狩のためといわれ,将軍の休泊施設である東金御殿が同時に建設され,船橋御殿との中継地として中田村にも御茶屋御殿が建設された。普請は大坂冬の陣を控えた時点での政治的・軍事的な意味合いがあったとも考えられる。その後御殿は破却され,外房と内房を結ぶ物資輸送路として利用された。

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改訂新版 世界大百科事典 「東金街道」の意味・わかりやすい解説

東金街道 (とうがねかいどう)

御成街道一夜街道とも呼ばれ,近世初期に造成された街道といわれる。佐倉道船橋宿より実籾(みもみ),犢橋(こてはし),金親,中田を経て東金に至るほぼ直線状の街道。全行程8里余。徳川家康秀忠,家光が鷹狩り等に利用し,御殿と称される休泊施設が船橋,中田,東金に設けられた。その後御殿は破却され,街道の一部は九十九里方面の物資を内湾へ運搬する街道としての役割を果たした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東金街道」の意味・わかりやすい解説

東金街道
とうがねかいどう

別名御成 (おなり) 街道。千葉県東金市から千葉市を経て船橋市にいたる街道。全長約 40km。近世は九十九里浜の干しイワシ輸送路として繁栄。現在では住宅地拡大や観光地化により交通量が増加している。

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