松尾寺村(読み)まつおじむら

日本歴史地名大系 「松尾寺村」の解説

松尾寺村
まつおじむら

[現在地名]秦荘町松尾

現町域の東部東西に長く延び、北は斧磨よきとぎ村、西は岩倉いわくら村、南は上蚊野かみがの村、宇曾うそ川の谷を挟んで平柳ひらやなぎ(現湖東町)に接する。村の東半分は秦川はたかわ山を中心とした山林で、その中腹に湖東三山の一つ天台宗金剛輪こんごうりん寺があり、村名は同寺の別号松尾寺に由来する。正応三年(一二九〇)三月三〇日の金剛輪寺住持である快実等一切経勧進状(金剛輪寺文書)に「於江州松尾寺精舎、所開講称揚也」とある。天正一九年(一五九一)五月の愛知郡蔵入目録(芦浦観音寺文書)に「松尾」とみえ高八七一石余。この高は金剛輪寺領を除いたものと推定される。

松尾寺村
まつおじむら

[現在地名]和泉市松尾寺町・青葉台あおばだいみどりおか

内田うちだ村の東方に位置し、村域は南北に延びる。松尾谷の一村。「まつのおじ」ともいった(天保郷帳)。村名は古刹松尾寺が所在することにより、当村はその門前集落として形成された。慶長一〇年(一六〇五)の和泉国絵図に「松尾寺」とみえ、高二八五石余。慶長一六年片桐且元により松尾寺屋敷分の検地が行われたが(「松尾寺屋敷方検地帳」松尾寺文書)、多くの松尾寺子院の名請人に混じって門前在住者の名もみえる。

松尾寺村
まつおじむら

[現在地名]鴨川市松尾寺

宮山みややま村の北西、加茂かも川の中流域に位置する。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に村名がみえ、高二八三石余(うち田方二一一石余)、里見氏給人領。正保郷帳では高二一三石余、うち田方一五一石余・畑方六二石余、旗本保科領。保科氏は慶安元年(一六四八)大名に列し、飯野藩領となる。寛文元年(一六六一)一族の旗本保科領となるが、元禄九年(一六九六)上知され、同一〇年旗本前田領となり、幕末に至る(「寛政重修諸家譜」「寛文朱印留」・元文村高帳など)

松尾寺村
まつおじむら

[現在地名]米原町上丹生かみにゆう

上丹生村の北西、西坂にしさか村の南東、松尾寺山の山上に位置する。村名は松尾寺が所在することによる。慶長高辻帳に村名がみえ、高六〇石余。江戸時代を通じて彦根藩領。元禄八年大洞弁天寄進帳に寺社方男四五とあり、一般の農家はなく、松尾寺の本坊と子院より成立っていた(輿地志略)。しかし本坊の僧侶以外はみな農業に従事していたという(木間攫)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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