朝日日本歴史人物事典 「松本英子」の解説
松本英子
生年:慶応2.3.18(1866.5.2)
明治大正期のジャーナリスト。上総国望陀郡(千葉県木更津市)の農民松本貞樹とふさの次女。家族と共に上京して三田救世学校(築地海岸女学校)に入学しキリスト教的博愛主義,人類同胞主義を身につけた。英語が堪能で賛美歌の翻訳をしたり,東京師範学校女子部(お茶の水女子大)在学中は米人教師の通訳を勤めたりしている。華族女学校(学習院)教師を経て毎日新聞社に入社。明治34(1901)年11月より59回にわたり足尾銅山鉱毒事件について惨状を訴えた。35年渡米し39年永井元 と結婚。死の直前まで『在米婦人新報』など数種類の新聞に「無戦」の詩や文章を発表,人類愛を訴え続けた。著書に『鉱毒地の惨状』がある。<参考文献>永井元編『永井えい子詩文集』,府馬清『松本英子の生涯』
(吉沢千恵子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報