松村達雄(読み)マツムラ タツオ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松村達雄」の解説

松村 達雄
マツムラ タツオ


職業
俳優

生年月日
大正3年 12月18日

出生地
神奈川県 横浜市

学歴
法政大学経済学部経済学科〔昭和13年〕卒

経歴
父はコロムビアレコード取締役文芸部長で、東京の山の手育ち。暁星中学から法政大学に進み、ラグビー部では左ウィングとして名うての選手だった。昭和13年大学卒業後、同人劇団を結成、次いで新協劇団研究生となる。17年応召し、21年復員。27年劇団五十人劇場を創設したが、32年資金難のため解散。同年「ダイヤル110番」でテレビ界に進出、「若い季節」「事件記者」「雑草の歌」などに出演して人気を得た。映画には34年佐分利信監督の「乙女の祈り」で初出演。45年黒沢明監督の「どですかでん」ですさんだ中年男を好演。山田洋次監督の〈男はつらいよ〉シリーズでは主人公車寅次郎おじで、東京・葛飾区柴又で団子屋を営む“おいちゃん”役を、47年に亡くなった森川信から引き継ぎ、49年の第13作目まで5作品でレギュラー出演した。しゃがれ声による独特の台詞まわしと、芝居臭さを感じさせない深みのある演技洒脱な雰囲気の名脇役として活躍し、特に崩れたインテリ役に定評があった。平成3年黒沢監督の遺作で、2度目の顔合わせとなった「まあだだよ」では主人公である小説家・内田百閒を演じ、長い俳優生活の中で初めて映画の主役を務めた。15年映画「解夏」、16年テレビ「それからの日々」に出演したのち間質性肺炎を患い、両作が映画・テレビの遺作となった。他の出演に映画「娘と私」「切腹」「いいかげん馬鹿」「馬鹿が戦車でやってくる」「なつかしい風来坊」「獄門島」「疑惑」「息子」「国会へ行こう!」「四十七人の刺客」「雨あがる」「英二」「長崎ぶらぶら節」、テレビ「赤い疑惑」「アリよさらば」「憲法はまだか」「天うらら」「元禄繚乱」など。著書に「金はなくても」「のんびり行こうよ」がある。

受賞
勲四等瑞宝章〔平成2年〕 橋田賞(特別賞 第8回)〔平成12年〕

没年月日
平成17年 6月18日 (2005年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「松村達雄」の解説

松村 達雄
マツムラ タツオ

昭和期の英文学者 東京大学名誉教授。



生年
明治44(1911)年4月29日

没年
平成2(1990)年8月13日

出生地
大阪市南区心斎橋

学歴〔年〕
東京帝国大学英文科〔昭和13年〕卒,東京帝国大学大学院英文学修士課程修了

主な受賞名〔年〕
勲三等旭日中綬章〔昭和60年〕

経歴
昭和24年明治大学教授を経て、25年東京大学教授に就任。退官後、玉川大学教授を務めた。フィールディング、フォースター、ハクスリーの研究、ポーの翻訳で知られる。著書に「翻訳の論理」、訳書にハクスリー「すばらしい新世界」、「E・A・ポー傑作集」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「松村達雄」の解説

松村 達雄 (まつむら たつお)

生年月日:1914年12月18日
昭和時代;平成時代の俳優
2005年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android