松永良弼 (まつながよしすけ)
生没年:1690ころ-1744(元禄3ころ-延享1)
江戸中期の数学者。初め寺内平八郎,のちに松永権平,さらに安右衛門に改む。東岡,探玄子,葆真斎などたくさんの号をもつ。久留米の有馬頼徸や磐城の平城主内藤政樹に仕える。関孝和の弟子荒木村英に数学を教わる。中根元圭の助けにより建部賢弘の数学を知り,親友久留島義太の協力をえて,当時の数学を大きく飛躍させるとともに,集大成した。彼には多くの著書があるが,1739年(元文4)にまとめた《方円算経》はとくに有名で,円に関する理論,正多角形の辺と対角線の関係,その他の理論がくわしく解説されている。円周率πの小数第49位までの正確な値,それにπやπ2を表す無限級数や,建部賢弘が見つけた(arcsin x)2のべき級数展開式が示されている。またsin x,cos x,cosec x,cot x,arcsin x のべき級数も説明されている。関流の最高の書と称される《円理乾坤之巻》は松永によりまとめられたといわれる。
執筆者:下平 和夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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松永良弼
まつながよしすけ
[生]?
[没]延享1(1744)
江戸時代中期の和算家。旧姓寺内,通称を平八郎,権平,安右衛門といい,東岡,龍池,探玄子,葆真斎,東溟と号した。久留米に生れ,江戸に出て,関孝和の高弟荒木村英に学び,孝和の遺業を整理・発展させて,関流と称される和算の体系を組織し,関流宗統2伝 (荒木村英が初伝) についた。弟子の山路主住のときには,関流免許の5段階が制定された。良弼は,円理を発展させて円の弦,矢,弧背の関係を明らかにした。すなわち,三角関数の級数展開を得たのである。1度ごとの三角関数表は建部賢弘が完成していたが,彼は (百分の) 十分の表をつくり,11桁の真数表を計算した。元文1 (1736) 年の『割円十分標』がそれである。ほかに『方円算経』『緯老餘算』『算法集成』 (9巻) ,『算法類聚』 (10巻) など撰著が多い。円裁極背術を解いた久留島義太 (?~1757) との親交が厚く,彼の推挙により,算学師範として日向延岡藩主内藤政樹に仕えた。この藩主の命により,帰源整法といっていた算法を点竄術 (てんざんじゅつ) と良弼が改めたという。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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松永良弼 まつなが-よしすけ
?-1744 江戸時代中期の和算家。
享保(きょうほう)17年陸奥(むつ)平藩(福島県)藩主内藤政樹につかえる。荒木村英(むらひで)にまなび,関流算法を集大成。円に関する理論,円周率の小数49位までの値をのせた「方円算経」や「算法集成」などをあらわした。延享元年6月23日死去。筑後(ちくご)(福岡県)出身。初名は寺内平八郎。通称は権平,安右衛門。号は東岡,源翼,探玄子など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の松永良弼の言及
【円理】より
…これ以後,無限級数展開を円理,あるいは綴術というようになった。松永良弼は,三角関数,逆三角関数の無限級数を《方円算経》(1739)の中で示した。これらの級数も円理と呼ばれる。…
【関流】より
…関流というのは,関孝和の弟子,あるいは孫弟子に教わったという意味である。関流という名称を初めて使ったのは関孝和の孫弟子松永良弼で,松永の弟子山路主住から関流何伝というようになった。初伝荒木村英,2伝松永良弼,3伝山路主住,4伝安島直円,藤田貞資,5伝日下誠,6伝和田寧,内田五観と続く。…
【和算】より
…彼は暦算の助手として京都の中根元圭を呼び,吉宗に推挙した。中根は,建部の業績を[松永良弼](1690ころ‐1744)や[久留島義太](?‐1757)に伝えた。久留島は天才と呼ばれるにふさわしい数学者であるがまとめることをせず,親友の松永の著作中にその多くが含まれていると思われる。…
※「松永良弼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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