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江戸時代の和算における筆算式代数をいう。本格的には西洋数学の代数学と一致する。したがって西洋から代数学が輸入されたのちも(代数は中国でいわれたことばである)、しばらくの間は点竄の名が使われた。明治時代の初期にはなお代数の書物に点竄の名を冠する書物が何冊か存在する。天元術は算木を並べて方程式を解くのであるが、それを改良して、紙上に墨を用いて書くことを始めたのが関孝和(せきたかかず)である。関は初めこれを帰源整法と名づけた。のち、内藤政樹(ないとうまさき)の意見によって点竄法と改めた。点竄の法は中国の史書『三国志』に出ているもので、謀略のため手紙にわざと足したり引いたりして送ったところにこの語が出ている。点は新しく書き加えること、竄は削り去ることで、この算法では加除して結果を出すことからこの名をつけたという。
[大矢真一]
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… 関孝和は,この天元術を一般的な代数に応用し,紙に書き表せるように改良した。これが点竄(てんざん)術である。関の時代には分数式の表し方に苦労したが,関の弟子建部賢弘により,今日の方法とほぼ同じ方法がくふうされた(図4)。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」