松浦(市)(読み)まつうら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松浦(市)」の意味・わかりやすい解説

松浦(市)
まつうら

長崎県北松浦半島の北岸に位置する都市。1955年(昭和30)志佐(しさ)、新御厨(しんみくりや)、調川(つきのかわ)の3町が合併して市制施行、同年今福(いまぶく)町を編入。2006年(平成18)北松浦郡福島町(ふくしまちょう)、鷹島町(たかしまちょう)を合併。市の中心は志佐で、松浦駅や市役所などの官公署、教育文化機関等があり、市街地を形成。海岸部近くを松浦鉄道西九州線、国道204号が走り、北東端に伊万里松浦道路の調川、今福、松浦の3インターチェンジがある。1960年には市内に16の炭鉱、従業員4842人を数える炭鉱都市で、国鉄松浦線(現、松浦鉄道西九州線)は、沿線の今福、調川、黒潮(くろしお)、御厨の諸港とともに石炭輸送に大きな役割を果たしたが、1969年炭鉱はまったく消滅し、都市の変貌(へんぼう)を余儀なくされた。臨海部では調川―大浜間の地先、志佐―白浜間の地先に広大な臨海工業団地を造成し、造船および関連鉄工業を誘致した。さらに九州電力が70万キロワット、100万キロワットをそれぞれ1基、電源開発が100万キロワット2基の、合計370万キロワットの石炭専焼による松浦火力発電所建設を行い、地元経済の発展を図っている。内陸部では繊維ならびに軽機械工業の誘致を進め、かなりの成果を収めている。農業は低地米作のほか、背後の丘陵地における棚田での米作が盛んで、ミカン、野菜栽培も進んでいる。漁業はアジ、サバの漁獲量が日本有数で、星鹿(ほしか)ではハマチ、ワカメ養殖が行われている。星鹿の城山(しろやま)は北松県立公園(ほくしょうけんりつこうえん)の中心で、玄界灘(げんかいなだ)を望む展望台があり、付近は元寇(げんこう)の激戦地で蒙古塚(もうこづか)などの史跡がある。鷹島付近の海底からは元の沈船などが発見されている(国史跡鷹島神崎遺跡)。福島の東側は多島海で知られ、鷹島、福島一帯は玄海国定公園に追加指定された。今福の人柱(ひとばしら)地区は寛文(かんぶん)年間(1661~1673)人柱を立てて干拓を行った所と伝えられ、人柱を発議し、自ら人柱に立った田代近松を供養する地蔵尊がある。その北方の城山は、北西九州の沿岸地帯を支配した松浦(まつら)党の始祖が築き居城とした梶谷城(かじやじょう)として知られる。面積130.55平方キロメートル、人口2万1271(2020)。

[石井泰義]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例