決まった体積の容器または決まった体積の位置を示す指標や、一定体積を定める装置をもつ計量器であるが、普通は単位体積を盛り切って計るものをいう。円筒形、方形、台形など各種の形のものがあるが、日本では明治以前の枡はすべて方形であり、円筒形が認められたのは明治以後である。枡の語源は古代朝鮮語ともいわれるが、はっきりしたことはわからない。人間が物差しに次いで古くから用いてきた計量器で、穀物を租税として徴収し、あるいは売買に使う道具であるところから、古来各国とも厳重な規制を設けてきた。しかし実際は、収納量を増加するために権力による改変が行われ、一般に年月とともに容量は増大している。たとえば現在の1升は漢の時代のそれの10倍近くにもなっている。
日本の枡の単位は石、斗、升、合、勺ですべて中国起源であるが、大宝律令(たいほうりつりょう)において制度とされたものは唐のそれである。基本の枡は升で、制定当時の大きさはいまの4合説、6合説その他があって一定しない。律令制の崩壊とともに一定の制はなくなり、荘園(しょうえん)、寺社の私制枡が横行し、歴代、統一の政策はとられたが成功しなかった。室町時代末期には平均いまの8合ほどに増大していたと推定される。豊臣(とよとみ)秀吉は、いわゆる太閤検地(たいこうけんち)を行ったが、収穫量の算定を統一するため枡の統一を行った。一升枡は方5寸、深さ2寸5分のもので、当時一般に普及していたものより2合ほど増したものである。これを京升という。その後寛文(かんぶん)年間(1661~1673)のことと思われるが、方を1分詰め、深さを2分増した、6万4827(六四八二七、いわゆる「むしやふな」)立方分のものに改められて明治に至っている。江戸幕府は、これらの枡の製作、販売および取締りを江戸と京都の枡座に専管させた。
江戸枡座は樽屋藤左衛門(たるやとうざえもん)で東33か国を、京都は福井作左衛門で壱岐(いき)、対馬(つしま)を含む西33か国を管掌した。種類は一合、二合半、五合、一升、五升、七升および一斗で、穀用と液用の木地(きじ)枡があり、穀用五合以上には対角線に沿って弦鉄(つるがね)がつけられたが、この弦鉄の体積は容量に見込まれていなかった。したがって穀用は正規の体積より弦鉄分だけ小さいのである。これが明治になって修正されたので、穀用五合以上のものの寸法は江戸時代のものと差がある。明治になって円筒形の枡が認められ、また枡の定義も改められて各種の形状のものがつくられるようになった。
[小泉袈裟勝]
『小泉袈裟勝著『ものと人間の文化史36 枡(ます)』(1980・法政大学出版局)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
穀物や酒・油などの容積を計量する器具。日本では一般には木製の箱型が多く,円筒形もある。枡が使用され始めたのはかなり古いと推測されるが,たんなる箱と枡を区別するのは困難。大宝令の制定により中国の制度が移入され,日本の量制も整備されたが,荘園制の発達とともに荘枡とよばれるさまざまな規格の枡が出現した。商業の発展によりしだいに量制の統一が進み,江戸時代には幕府や諸藩によって枡座が設置され,枡の規格は新京枡でほぼ統一された。幕府の枡座では穀物計量用と液体計量用の枡が製作されたが,庶民の間では魚介用のけんち枡や野菜用の野菜枡,のちには繭(まゆ)用の繭枡など多様な枡が使用された。明治期以降は円筒形も公認され,金属製・ガラス製も現れたが,現行計量法では検定対象から外されている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…【鈴木 充】
[劇場の土間]
舞台前面,東西の桟敷の間の広い場所を占める観客席。正徳(1711‐16)ころからここを〈切落し(きりおとし)〉と称する追込みの大衆席として使用してきたが,1766年(明和3)7月江戸中村座で,切落しの一部に縄張りをし隣席との区分をするようになり,さらにマセという木材で区切った〈仕切枡〉に発展した。枡の広さは時代により違いがあるが,84年(天明4)の分検帳によれば4尺8寸(約1.45m)×5尺で,7人詰を原則とした。…
※「枡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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