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樽屋藤左衛門 たるや・とうざえもん

朝日日本歴史人物事典の解説

樽屋藤左衛門

生年:生没年不詳
江戸初期の江戸町年寄の初代。名は忠元。父樽三四郎康忠と共に天正18(1590)年徳川家康に従って江戸に入る。父の祖父水野忠政は刈屋大高の城主であったという。康忠は水野弥吉と称したが,天正3(1575)年の長篠合戦において家康から樽の姓を与えられた。これは織田信長に酒樽を献上したことにちなむという。父の死後,江戸の町年寄となり,以後2代をのぞき代々藤左衛門と称した(他家より入った9代,11代,12代町年寄は樽屋与左衛門を称す)。日本橋本町2丁目に屋敷を拝領し,町支配を担当したが,他方東33カ国の枡座の特権を与えられ,升の製造,販売,検定なども行っている。墓所は浅草蔵前の西福寺。<参考文献>吉原健一郎『江戸の町役人』

(吉原健一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

たるやとうざえもん【樽屋藤左衛門】

江戸町年寄の世襲名。初代は水野姓で,のち樽と改め,1581年(天正9)以来徳川家康のもとで遠江の町々の支配を担当したという。90年に家康とともに江戸に入り,町支配を行った。奈良屋喜多村とともに江戸の三町年寄として世襲し,日本橋本町2丁目に160坪の居宅を拝領した。町年寄役のほかに神田・玉川両水道の支配を兼ねたこともあり,また京都の福井作左衛門の西国支配にたいし,東国33ヵ国の枡改(枡座)は樽の特権であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

樽屋藤左衛門
たるやとうざえもん

江戸の町年寄樽家の初代、および世襲の通称。初代の父は水野弥吉康忠(みずのやきちやすただ)といい、徳川家康の従兄弟(いとこ)にあたる。数々の武功をあげ、家康より樽三四郎と改名させられた。1590年(天正18)に家康に従って江戸に入ったが、街道の整備や江戸の町支配を命じられた。その子が藤左衛門忠元で、江戸の町年寄の初代となった。町人として姓を樽屋と変えたが、のち1790年(寛政2)樽の苗字(みょうじ)が復活した。樽家は代々、日本橋本町に役宅を与えられた。同時に枡座(ますざ)を兼ね、東33か国の枡支配を行っている。また、親類には日本橋の名主樽屋や地割役樽屋がいるが、先祖は樽三四郎の次男惣兵衛であったといわれる。[吉原健一郎]
『吉原健一郎著『江戸の町役人』(1980・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の樽屋藤左衛門の言及

【浅草御蔵】より

…1620年(元和6)創設。町年寄樽屋藤左衛門元次が設計し,隅田川右岸の湾入部(現,東京都台東区蔵前1・2丁目)を埋め立て,川側344間(約625m)の間に8本の船入り堀を設けて,総面積3万6648坪(約12ha)の敷地が造成された。ここに天明年間(1781‐89)までに51棟254戸前の大倉庫群が建設され(のち67棟まで増設),毎年30万~40万石の米穀が出納された。…

【枡座】より

…江戸時代前期の枡は,太閤検地における基準枡である納枡によってほぼ統一されていたが,厳密には各地また用途によって枡目には相違があった。幕府は,江戸では樽屋藤左衛門を,京都では福井作左衛門を枡座とし,それぞれ縦横4寸7分5厘・深さ2寸9分,縦横4寸9分・深さ2寸7分の枡を公定枡として製作,販売にあたらせていた。そして寛文期(1661‐73)には,全国的流通の活発化などを背景に,幕府は諸国枡の調査を実施し,その結果をもとに1669年京枡をもって全国の枡を統一しようとし,江戸の樽屋と京都の福井とを枡座に定め,枡の製作,販売を独占させようとした。…

※「樽屋藤左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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