改訂新版 世界大百科事典 「樽屋藤左衛門」の意味・わかりやすい解説
樽屋藤左衛門 (たるやとうざえもん)
江戸町年寄の世襲名。初代は水野姓で,のち樽と改め,1581年(天正9)以来徳川家康のもとで遠江の町々の支配を担当したという。90年に家康とともに江戸に入り,町支配を行った。奈良屋,喜多村とともに江戸の三町年寄として世襲し,日本橋本町2丁目に160坪の居宅を拝領した。町年寄役のほかに神田・玉川両水道の支配を兼ねたこともあり,また京都の福井作左衛門の西国枡支配にたいし,東国33ヵ国の枡改(枡座)は樽の特権であった。
樽屋は実子相続でない場合与左衛門を名のった。なかでも1785年(天明5)に就任した与左衛門(1746-1814)は松平定信に信任され,札差仕法改正に努力し,苗字帯刀の特権を与えられた。文化年間には幕府の御用金運用にも従事し,さらに杉本茂十郎とともに三橋(さんきよう)会所の設立に関与した。しかし,貸付金の運用に失敗し,急死した。
執筆者:吉原 健一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報