延久年間(1069-74)に後三条天皇の勅命によって制定された平安時代中期の公定枡。延久宣旨枡ともいう。律令制が崩壊していった平安時代に,荘園整理令と関連して採られた公定枡制定政策の所産である。その容積は《伊呂波字類抄》所載の寸法によれば,京枡(1升)の6合7勺余となる。平安時代中期から鎌倉時代にかけて,この枡の使用は京都を中心としてほとんど全国に及んだ。その計量の対象は公家関係の料米が多く,また伊勢大神宮の役夫工米(やくぶくまい),諸法会の料米・灯油米等の神社・仏寺関係の米の場合が少なくない。南北朝時代から室町時代にかけて,この枡は公定枡的な性格を失い,荘園における一般的な収納用の私枡と化した。使用範囲も京都北部や東部の地域に限られるに至った。その結果,〈仁和寺宣旨枡〉〈太秦宣旨枡〉のように領主名や地域名を冠するものも出現し,容積もまた多様化した。
執筆者:宝月 圭吾
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後三条天皇により1072年(延久4)に制定されたという公定枡。それまでは平安初期から多様な枡が使用されていた。容積は方1尺6分,高3寸6分を1斗とする「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」の説など,いくつかの異説がある。畿内を中心にほぼ全国的に使用され,鎌倉時代を通じて権威を保っていた。室町時代には油を量るためにも使用された。その後も「せんじ」とよばれる枡が各地にみられるが,宣旨枡と直接の関係はない。
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…しかし,その実際の大きさについては多くの議論があり,判然としない。 量の単位は,経済構造や社会情勢から私制枡(ます)が横行し,統一を欠いていたが,1072年(延久4)後三条天皇により〈宣旨(せんじ)枡〉が制定された。その1升の大きさは,《伊呂波字類鈔》(鎌倉時代作)の1斗枡の寸法から換算して,近世の約6合であると思われる。…
※「宣旨枡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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