柏井村(読み)かしわいむら

日本歴史地名大系 「柏井村」の解説

柏井村
かしわいむら

[現在地名]市川市柏井町一―四丁目

奉免ほうめん村の北東に位置し、谷地を挟んで北西大野おおの村。集落は台地上に発達する。延文三年(一三五八)五月三日の日樹置文(弘法寺文書)によれば弘法ぐぼう寺の毎月一三日・一五日の講会は「柏井」などの僧俗によって勤仕されていた。寛文年中(一六六一―七三)と推定される国絵図に村名がみえ、寛文九年の物成皆済目録(岡本家文書)によると、同年には物成米二八三俵余(三斗七升入り、うち三俵余は種借利米)を納めている。貞享二年(一六八五)の寺請状(同文書)には「八幡庄葛志賀郡梶川与三兵衛殿御領内柏井村」とみえ、この頃には旗本梶川頼照の給地であった。なお与三兵衛(与惣兵衛)頼照は江戸城内で吉良義央に斬りかかった浅野長矩を取押えたことで知られる。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高五二六石余、幕府領


柏井村
かしわいむら

[現在地名]花見川区柏井町・こてはし台こてはしだい五―六丁目

花島はなしま村の北から東にわたる村域で、花見川が流れる。江戸時代前期に北柏井村を分村、同村と区別するため南柏井村とも称し、また史料により下柏井村ともみえる。慶長一九年(一六一四)の東金御成街道覚帳に村名がみえ、高二二五石、道普請に際し五町を負担している。寛永二年(一六二五)知行宛行状では柏井村一五〇石余が旗本小栗領。慶安元年(一六四八)の葛飾郡生内庄柏井村検地帳(小川家文書)が伝えられる。寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図に村名がみえ、元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高九五石余で、旗本上杉領。


柏井村
かしわいむら

[現在地名]友部町柏井

枝折えだおり川左岸にあり、南は仁古田にこだ村。中世宍戸氏の支配下にあったが、文禄元年(一五九二)から佐竹氏領、慶長七年(一六〇二)に秋田氏領となり、同年の御知行之覚(秋田家文書)に村高一〇六・一石とある。正保二年(一六四五)秋田氏移封後は一時天領となったが、天和二年(一六八二)宍戸藩領となり幕末まで続く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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