北の北摂山地・
大阪平野低地を構成する沖積層の層厚は、上町台地北東方で約二〇メートル、淀川河口付近で約三五メートルと調査されている。この沖積平野地形の発達史は、近年の研究によりその概略が次のごとく解明されている。ウルム氷期最盛期から縄文時代早期にかけての約二万年から九千年前は、気候が寒冷で海水面は現在より二五メートル以上低位置にあり、大阪平野は現在の大阪湾にまで広がっていた。その後二千年から三千年の間に海水面が急激に上昇し、縄文時代前期(約七千―六千年前)には海が大阪平野に広く浸入した(河内湾Iとよばれる)。海面は東の生駒山麓、南の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
近畿地方のほぼ中央に位置する平野。北は北摂山地,東は生駒山地,金剛山地,南は和泉山脈,西は六甲山地と大阪湾の間に広がる。大阪府と兵庫県にまたがり,面積は約1600km2。近畿地方の諸平野の中では最も広く,大阪市を中枢とする大都市圏と阪神工業地帯の中心をなす。平野の地形は山地に続く丘陵・台地と,その前面に広がる低地からなる。丘陵・台地は第三紀鮮新世から洪積世にかけて堆積した粘土,砂,礫(れき)で構成される大阪層群の地層でつくられていて,北の千里丘陵,豊中台地,伊丹台地,東の枚方(ひらかた)丘陵,交野(かたの)台地,南の河泉丘陵とそれをとりまく台地,そこから北へ半島状に突出する上町台地などがある。淀川,大和(やまと)川とその支流,武庫川,石津川,大津川など数多くの河川が複合して形成した低地は,上町台地によって東側の淀川・河内低地と,西側の大阪海岸低地に分けられる。大阪平野の中心をなす淀川・河内低地では,縄文時代前期に大阪湾が深く入りこみ生駒山地の山麓に達していたが,その後に河川の運搬する土砂が堆積して水域が縮小し,潮入りの潟湖から淡水の湖沼へと変化し,同時に上町台地の西側に砂州と三角州が成長するという大きな地形変化がみられた。また淀川と大和川沿いの低湿地においては,土地開発を進めて農業生産と生活の場を確保し安定させるため,たえず治水と利水のための大規模な土木工事が行われてきた。古代における茨田(まんだ)堤(茨田池),横野堤など数多くの堤防,堀川,灌漑施設の建設と三国川(現,神崎川)開削,16世紀末の淀川築堤と大坂市中の水路網建設,17~18世紀における大和川付替工事と旧河床,池沼,臨海地の干拓による新田開発,明治後半の淀川改修工事と分流の中津川の曲流部を開削した新淀川放水路(現,本流)の新設などが,そのおもなものである。
大阪市を中心に発達した私鉄・国鉄の路線に沿ったベッドタウン,大阪,尼崎,堺など大阪湾岸の工業地帯,その中間と周辺に展開する農村地帯という地理的状況を示していた大阪平野は,1960年ころから今日に至る短期間のうちに,かつてない急激な変貌をとげた。関東平野と並ぶ膨大な人口集積,農地の急速な転用と市街地化,阪神工業地帯の外延的拡大と再編,大阪を中心とする道路,鉄道など交通施設の新設と延伸などが相関連して進行し,平野全域が高密度の都市化地域となった。千里,泉北のニュータウンをはじめとする大小多数の住宅団地やゴルフ場,公園,工業団地の建設は,丘陵と台地の景観を一変し,大阪湾岸には広大な埋立地と人工島が造成されて,重化学工業の大規模工場と各種港湾施設が進出した。平野の農業的土地利用は全面的に後退し,全国的に高い反当収量を誇ってきた米作は急減し,大阪市近郊の集約的な野菜生産や北河内地方のれんこん生産は,ほとんど姿を消した。しかし平野周辺部では,池田市,宝塚市における花木,植木の園芸,柏原市のブドウ栽培,溜池灌漑が卓越する和泉・南河内地方のタマネギ,ナスなどの野菜作りとミカン栽培,丘陵地における畜産業など,特長ある農業生産が行われている。
執筆者:服部 昌之
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大阪府から兵庫県東部に広がる平野。北は北摂(ほくせつ)山地、東は生駒(いこま)、金剛(こんごう)山地、南は和泉(いずみ)山脈の各山麓(さんろく)から西の大阪湾に及ぶ面積約1600平方キロメートル。旧国名から摂河泉平野(せっかせんへいや)ともいい、近畿地方第一の平野。
地形上、第三紀鮮新世から更新世(洪積世)に形成された丘陵、台地と、完新世(沖積世)に現河川のつくった三角州を主とする沖積平野とからなる。おもな丘陵、台地には、北に千里(せんり)丘陵と豊中(とよなか)台地や伊丹(いたみ)台地、北東に枚方(ひらかた)丘陵と交野(かたの)台地、南に広がる河泉(かせん)丘陵と信太山(しのだやま)台地、三国丘(みくにがおか)台地、さらに大阪市内に延びる上町(うえまち)台地などがある。沖積平野には、北に武庫(むこ)川・猪名(いな)川のつくる武庫平野、茨木(いばらき)川・芥(あくた)川などの三島野(みしまの)平野、東に淀(よど)川・大和(やまと)川の河内(かわち)平野、南西に石津(いしづ)川・大津川・男乃里(おのさと)川などの和泉海岸平野が連なる。
開発は古く、丘陵縁辺には縄文遺跡、台地から高位三角州には弥生(やよい)遺跡や古墳の分布、さらに水田開発のための溜池(ためいけ)や条里制遺構をとどめる。河内平野の北部低地は、近世池沼を干拓した新田開発地である。早くから先進農業地として開け、現在も近郊農業が盛んで、伊丹台地や池田の植木栽培、和泉海岸平野のタマネギ栽培は有名である。
都市の発達も早く、古代の難波(なにわ)、中世の堺(さかい)、近世にはこのほか尼崎(あまがさき)、高槻(たかつき)、岸和田などの城下町が栄えた。明治以降、大阪の商工業の発展に伴い、周辺の近代都市化をもたらし、工業都市として尼崎、吹田(すいた)、茨木、守口(もりぐち)、東大阪、堺、岸和田など海岸から淀川の沖積地に阪神工業地帯を形成。一方、住宅都市として西宮、宝塚、豊中、枚方、藤井寺などが丘陵、台地に開発をみた。これらの衛星都市を擁して総人口約987万人、大阪都市圏の基盤を構成し、首都圏を形成する関東平野とともに、日本の中枢的役割を果たしている。
[位野木壽一]
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