柳亜子(読み)りゅうあし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「柳亜子」の意味・わかりやすい解説

柳亜子
りゅうあし / リウヤーツ
(1887―1958)

中国の詩人。名は慰高(いこう)、のちに棄疾(きしつ)と改名、字(あざな)は安如、亜子は号。江蘇(こうそ)省呉江(ごこう)の人。1903年上海(シャンハイ)愛国学社に学び、06年同盟会、光復会に加入。09年陳去病らと革命的文学結社南社を組織した。辛亥(しんがい)革命後は、国民党中央監察委員などを歴任、27年、四・一二クーデター後は日本に亡命し、翌年帰国して反蒋介石(しょうかいせき)の活動をした。日中戦争中は宋慶齢(そうけいれい)らと抗日民主運動に従事し、戦後は香港(ホンコン)で民主同盟中央執行委員などを務めた。49年人民共和国成立後は、中央人民政府委員、全国人民代表大会常務委員会委員などを歴任し、北京(ペキン)で病没した。蘇曼殊(そまんじゅ)との親交が厚く、『蘇曼殊全集』全5巻(1928)などを編集している。彼の作品は『南社叢(そう)選』(1927)、『乗桴集』(1928)などに収められ、その慷慨(こうがい)にあふれる詩風を郭沫若(かくまつじゃく)は「現代の屈原」と評している。革命後の中国では『柳亜子詩詞選』(1959)、『柳亜子詩選』(1981)が出版された。

[藤井省三]

『倉田真美著『清末民初を中心とした中国近代詩の研究』(1969・大修館書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「柳亜子」の意味・わかりやすい解説

柳亜子 (りゅうあし)
Liǔ Yà zǐ
生没年:1887-1958

中国の旧詩人。名は棄疾。亜子は字。江蘇省呉江の出身。弱年に上海愛国学社に入り,章炳麟(しようへいりん),鄒容(すうよう)等と知り光復会,同盟会に入るが実際活動はしなかった。1909年陳去病(1874-1933)等と南社結成,以後中心となって牛耳を執り,《南社叢刻》全22集を刊行。彼の詩は龔自珍(きようじちん)の影響を強く受け,唐を尊び沈鬱悲涼だが平易である。《乗桴集》(1929),《懐旧集》(1943),《柳亜子詩詞選》(1953)がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「柳亜子」の意味・わかりやすい解説

柳亜子
りゅうあし
Liu Ya-zi

[生]光緒13(1887)
[没]1958
中国の詩人。本名は柳慰高。字,安如。唐隠芝,憤民などの筆名がある。江蘇呉県の人。宣統1 (1909) 年文学結社「南社」の結成に加わり,中心メンバーの一人となる。抗日戦下では中華全国文芸界抗戦協会桂林分会理事をつとめる。解放後は中央人民政府委員,全国人民代表大会常務委員などを歴任。十代詩作を始め,梁啓超の詩界革命の影響を受ける。五四運動以後は新文学,白話文を支持した。『磨剣室詩詞集』『磨剣室文集』『南社紀略』『蘇曼殊研究』などがある。

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367日誕生日大事典 「柳亜子」の解説

柳 亜子 (りゅう あし)

生年月日:1887年5月28日
中国の革命的詩人
1958年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の柳亜子の言及

【蘇曼殊】より

…没後友人たちによってかなり高く評価されたが,それは彼が激動の時代に漂泊者として生きた生き方の中に当時の革命家たちのもった一種ロマンティックな雰囲気を体現していたためであろう。友人柳亜子の編による《曼殊全集》全5巻(1935)がある。【中島 長文】。…

【南社】より

…中国,清末・民初の文学結社。1909年陳去病(1874‐1933),高旭(1877‐1925),柳亜子の発起により蘇州で結成,主として東南の文人を集めた。反清民族革命の革命的感情を旧詩文で表現しようとし《南社叢刻》(1910‐23)を22集まで刊行した。…

※「柳亜子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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