中国、清(しん)末民国初年の文学者。名は玄瑛(げんえい)、字(あざな)は子穀(しこく)。広東(カントン)省中山県の人。横浜で中国人茶商人と日本人の女性の間に生まれる。養母は河合仙。1889年広東に帰郷したが、98年ふたたび来日。1902年早稲田(わせだ)大学高等予科に入学したころより革命派に近づき、青年会、軍国民教育会に参加。04年香港(ホンコン)で康有為(こうゆうい)暗殺を謀ったが未遂。シャム、セイロンを流浪してサンスクリットを学び、07年劉師培(りゅうしばい)・何震(かしん)夫妻とともに来日。章炳麟(しょうへいりん)の国粋革命論、亜洲(あしゅう)和親会運動の影響を受けて排満的文章をつづり、インド革命家A・ゴーシュ原作とおぼしき『娑邏海浜遯跡記(さらかいひんとんせきき)』を訳す。F・M・ミュラーの著作を下敷きにして『梵(ぼん)文典』出版を計画、また南条文雄に入門してサンスクリット研究を志したが、ともに果たさず。また魯迅(ろじん)が計画した雑誌『新生』にも加わる予定だったが、未刊に終わった。当時バイロンに傾倒し、08年『バイロン詩選』を出版。09年ジャワ中華学校英語講師となり、文学結社南社にも参加。12年に帰国してからは、辛亥(しんがい)革命後の混乱のなか憂憤を抱いて日本、中国を流浪し、詩・小説を著した。革命後は象徴主義的作風を示した。自伝的装いの幻想小説『断鴻零雁記(だんこうれいがんき)』(1912)はその代表作。18年5月2日上海(シャンハイ)で病没。柳亜子編『蘇曼殊全集』全五巻(1928)があり、30年代に非常に流行した。日本ではその血統のため日中戦争期に盛んに紹介された。
[藤井省三]
『飯塚朗訳『断鴻零雁記』(平凡社・東洋文庫)』
中国,清末・民国初期の文人。名は玄瑛。曼殊は僧号。中国人を父,日本人を母として横浜に生まれる。少年時代を広東で送ったのち早稲田大学等に留学。のち出家したが章士釗(しようししよう),劉師培,章炳麟(しようへいりん)ら革命家と交わり,南社の詩人となった。英語に長じバイロン,シェリー等西洋のロマン派の詩を最も早く中国に紹介した。小説も書いたが,後の郁達夫の私小説の世界に一脈通ずるものがあるものの旧型の言情小説にとどまり,新しい文学を開くには至らなかった。没後友人たちによってかなり高く評価されたが,それは彼が激動の時代に漂泊者として生きた生き方の中に,当時の革命家たちがもった,一種ロマンティックな雰囲気を体現していたためであろう。友人柳亜子の編による《曼殊全集》全5巻(1935)がある。
執筆者:中島 長文
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