改訂新版 世界大百科事典 「柳寛順」の意味・わかりやすい解説
柳寛順 (りゅうかんじゅん)
(R)Yu Kwan-sun
生没年:1904-20
朝鮮の独立運動家。忠清南道天安郡の生れ。梨花学堂在学中,1919年三・一独立運動に参加,帰郷して示威運動を計画。4月1日並川の定期市日に集まった群衆に太極旗を配り,独立宣言文を朗読,示威行進を組織した。彼女はデモの先頭に立ち指揮をとったが,憲兵の発砲により自分の両親を含む30余人の死者を出した。寛順は負傷逮捕され,首謀者として懲役3年を宣告されたが,日本に裁く権利はないと獄中闘争を展開した。上告審では法廷侮辱罪を加算されて懲役7年となったが,最後まで節をまげなかった。20年10月12日拷問で併発した病気のため,16歳で獄死。年若き少女の壮烈な祖国愛は〈朝鮮のジャンヌ・ダルク〉として今日なお人々の胸中に生きている。
執筆者:姜 徳 相
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報