漆器の塗装技法の一種。木製器体に黒漆(くろうるし)で下塗りをした上に朱(しゅ)漆塗りで塗り放し(花塗(はなぬり))する漆器、または技法。長年の使用で上塗りの朱がはげ、下塗りの黒漆が斑文(はんもん)や断文となったのを意図的に表現する塗法も含めるようになった。また浮彫りを施した彫根来(ほりねごろ)、黒漆を上塗りとした黒根来などがあり、狭義では根来で産した漆器全般をさしている。
名称は和歌山県の根来寺に由来する。本寺は1288年(正応1)の創建だが、1585年(天正13)豊臣(とよとみ)秀吉の兵火によりわずかの堂宇を残して一山が焼失した。したがって、根来寺に関する塗り物については、製作の起源などを語る資料はなく、詳細不明。しかし、根来の僧が全国に四散し、各地に根来塗の技法を伝えたとされている。室町時代の最盛期(14~15世紀)には高野山(こうやさん)を凌駕(りょうが)するほどの繁栄をみたので、山内で使われた仏器・仏具をはじめ日常生活用器の必要も当然生じ、山内およびその周辺で大量につくられた。これらの朱漆塗器が本来の根来である。しかし、それを根来または根来塗とよぶ文献は、寛永(かんえい)15年(1638)自序の重頼(しげより)編俳諧(はいかい)作法書『毛吹草(けふきぐさ)』で、「根来椀(ネゴロワン) 折敷(ヲシキ)昔繁昌之時拵タル道具ト云 当時方々ニテ売買之」とあるのがもっとも古い。また明確な遺品としては、足付盥(たらい)(茨城・六地蔵寺)、前机(奈良・長谷(はせ)寺)、個人蔵の足付盥、丸鉢に根来寺の銘のあるものと、和歌山県教育委員会による根来寺坊院跡を発掘して発見された漆器断片を数えるにすぎない。
根来塗の様式には、平安期の貴族調度の形式を伝える和様(わよう)、中国の宋(そう)・元(げん)・明(みん)代の影響を受けた唐(から)様、両者の折衷様とがある。飲食器が多く、宗教用具、調度、文房具、武具など多様な実用に即して、簡明で機能性に優れた明快な器形は、現代人をも魅了している。
[郷家忠臣]
『河田貞著『根来』(1985・紫紅社)』
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…《春日権現験記》や《慕帰絵詞》には高杯や懸盤,鉢などの朱漆器が描かれ,朱漆器はかなり一般化してきた。これらの朱漆器は根来(ねごろ)塗と称されるが,その名は近世以降流布した名称であり,紀州根来寺での当時の漆器生産の実際がどのようなものであったかはっきりと確認されていない。根来塗の技法は黒漆の下塗りに朱漆をかけた簡易なもので,形体も武骨で単純なものだけに長年の常用に耐える堅牢さをもっていた。…
…遺品では鎌倉の長勝寺に伝わる懸盤が応永5年(1398)の紀年銘をとどめていて現存最古である。この懸盤は黒漆地に朱漆の上塗りをほどこした,いわゆる根来(ねごろ)塗の手法によるが,《春日権現験記》や《慕帰絵詞》など鎌倉時代以降の絵画資料に認められる懸盤も同類の漆塗りと目されるものであり,以後後世に至るまでこの種の漆塗りのものが一般的であった。しかし,《御堂関白記》寛弘1年(1004)の条には〈螺鈿(らでん)懸盤〉,同3年条には〈沈懸盤〉,また《厨事類記》には〈紫檀地螺鈿〉などのものが見られ,古くは沈や紫檀など高価な外来の材を用いたり,それに螺鈿のような加飾をほどこした豪華なものも使われていたことが知られる。…
…こうして〈根来〉は後世,時代や産地を問わず,根来で産した朱漆器に劣らないような良質で堅牢な朱漆器に対する総称としての意味を有することになったのである。
[根来塗]
一方,根来産漆器の呼称として〈根来〉とともに慣用されてきた言葉に根来塗がある。いまでは根来塗もまた〈根来〉と同様拡大解釈され,朱漆器の俗称として安易に用いられるようになったが,〈……塗〉と称する場合,一般には産地名をあらわすのが通例であり,〈根来〉を黒地朱漆塗の良質な漆器全般に対する呼称として新たに規定するならば,根来塗については根来寺山内で生産された漆器とするのが適切であろう。…
※「根来塗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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