日本大百科全書(ニッポニカ) 「根栽農耕文化」の意味・わかりやすい解説
根栽農耕文化
こんさいのうこうぶんか
南太平洋のミクロネシア、メラネシア、ポリネシアなどの島々は16世紀以後西欧人が接触したときには新石器時代で、その経済はいも類を中心とした栄養繁殖による栽培植物によって生活していた。これは典型的な根栽農耕文化で、主作物はタロイモ(サトイモ、クワズイモ類、キルトスペルマなど)、ヤムイモ(ヤマノイモ類の数種)、パンノキ、バナナ、サゴヤシなどで、いも類の利用が特色である。バナナは料理用品種が主力であり、パンノキの果実も未熟果を焼いて食べるなど、バナナ、パンノキも食用としていも類に等しい地位にあった。いも類に続いてはナッツの食用が大きい。ココナッツ、タイヘイヨウクルミ、タコノキなどナッツが広く栽培され利用されてきた。生食果物はほとんど発達しなかった。一年生の種子植物の栽培は、ヒョウタンがほとんど全地域で唯一の例外としてみられた。
このような根栽農耕文化は、禾穀(かこく)類、マメ類、油料作物を欠く農耕方式で、農具は石斧(せきふ)と掘棒しかなく、料理法は石焼きのみで、土器を欠いていたので煮る料理法はなかった。ただし土器は紀元前2000年ごろには南太平洋に広く認められるが、その後ほとんどの所で中絶してしまった。この根栽農耕文化は初期の形態が東南アジアの大陸部で形成され、タロイモ、ヤムイモなどをもって、中国南部、マレー半島付近からオセアニア方面に伝播(でんぱ)し、ある程度の発達を遂げたものとみられる。そのほか、根栽農耕文化は部分的に日本、東部インドに伝播したものと認められる。
この根栽農耕文化に作物的によく近似した農耕文化は、アメリカのカリブ海地域にも独自に発生し、マニオク、アメリカサトイモなどのいも類を主力とした農耕文化がある。また西アフリカの沿岸部にも紀元前後ごろアジアからの影響下に、黒人によって別の根栽農耕文化が進展した。根栽農耕文化では主作物のいも類の貯蔵輸送が困難なため、その集中による強大な権力の成立、大国家形成などはむずかしく、地方的な政権以上の発達ができなかった。
[中尾佐助]