日本大百科全書(ニッポニカ) 「桃山美術」の意味・わかりやすい解説
桃山美術
ももやまびじゅつ
日本美術史上の一区分。一般史の安土(あづち)桃山時代(1568年の織田信長上洛(じょうらく)から1603年の江戸幕府開設まで)に加えて、美術史では幕府開設後の寛永(かんえい)末年(1644)ごろまでを含めて桃山時代とするのが一般である。七十余年の短い時代であるが、支配階級だけでなく、庶民のエネルギーが一つの方向をもち始めた現世肯定の時期として注目される。美術活動でこの時代を代表するのは絵画で、武将の権威を誇示する城郭建築、書院造の武家住宅の建造に伴って、その内部を飾る濃彩の金碧障屏画(きんぺきしょうへいが)が次々に生み出されて、いわゆる桃山様式の華やかな展開のピークを形成した。画工としては、狩野(かのう)派の永徳(えいとく)、光信(みつのぶ)、山楽(さんらく)、そして長谷川等伯(はせがわとうはく)、海北友松(かいほうゆうしょう)らの名があげられる。またイエズス会のザビエル来日とともにもたらされた西欧の宗教絵画をもとに日本でも洋風画が始められ、南蛮趣味の流行と相まって、南蛮美術と総称される絵画・工芸品が数多くつくられ、のちには西洋人の趣味にあわせた輸出用の蒔絵(まきえ)製品までつくられたことも注目される。
こうした豪華絢爛(けんらん)の流れの一方、茶の湯の流行により、豪華さと相反するわびの精神に基づく芸術活動もみられる。近世以降の日本文化の本質をなす両面性がこの時代に打ち出されていることにも注目したい。
[永井信一]