コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

南蛮美術 ナンバンビジュツ

5件 の用語解説(南蛮美術の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

なんばん‐びじゅつ【南蛮美術】

桃山時代から江戸初期にかけて、西洋の影響のもとにつくられた美術。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

南蛮美術【なんばんびじゅつ】

桃山〜江戸初期にヨーロッパ,特にポルトガル文化の影響を受けた美術の総称。イエズス会学林内での画僧ジョバンニ・ニコラオ〔1560-1623〕の西洋画法の教授もあって,日本人信者による洋画制作が行われた。
→関連項目洋風画

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

なんばんびじゅつ【南蛮美術】

16世紀後期~17世紀中葉の日本で行われた西洋趣味の美術。大航海時代のポルトガル人やスペイン人が南方を経由して渡来したので,南方の外国人という意味で彼らを南蛮人と呼ぶようになった。南蛮人のもたらした西洋の文物や風俗に影響されて生まれた美術を南蛮美術と総称するが,その中には様式,流派,成因を異にするものがあるから,この呼称は文化史の用語としては適当でも,美術史の用語としては必ずしもふさわしくない。南蛮美術は桃山時代を中心に開花したが,寛永年間(1624‐44)に実施されたキリスト教禁止政策と鎖国のためにしだいに衰滅に向かった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南蛮美術
なんばんびじゅつ

桃山時代から江戸時代初頭にかけて流行した西洋風美術の総称。当時ポルトガル人やスペイン人らの西洋人は、東南アジアにもつ植民地を経由して日本に来航したため、南方の外国人という意味で「南蛮人」とよばれた。これら南蛮人によってもたらされた西洋の文物や風俗に触発・影響されてできた異国的な絵画や工芸品を、一般に「南蛮美術」とよんでいる。その最盛期は、キリスト教の教勢が頂点に達し南蛮風俗が流行した16世紀末から17世紀初頭に求められ、寛永(かんえい)年間(1624~44)に整えられた禁教と鎖国の政策に阻まれて、急速な退潮を迎えるに至る。
 1549年(天文18)フランシスコ・ザビエルが来日のおりに聖母マリアの画像をもたらして以来、布教のために来日した宣教師たちによって多くの宗教画が将来された。やがてキリスト教の流布とともに宗教画の需要は急増していき、輸入洋画だけに頼ることが不可能になったため、83年(天正11)西洋画法の教授としてジョバンニ・ニコラオGiovanni Nicolaoが来日、教会内のセミナリオ(修学寮)において日本人画家の育成が進められた。セミナリオでは油絵、フレスコ、テンペラ、銅版画などの本格的な西洋画の諸技術が伝授されたが、現在残る作品をみると、紙に日本在来の絵の具で描かれたものが多い。日本人画家の制作になる宗教画の遺品としては、『マリア十五玄義図』(京都大学および個人蔵)、『三聖者像』(東京国立博物館)、『フランシスコ・ザビエル像』(神戸市立博物館)などが知られている。
 こうした布教の手段としての宗教画制作に始まった洋風画は、やがて鑑賞本位の非宗教画にも筆を染めるようになる。その多くは日本の伝統的な装飾画形式である障屏画(しょうへいが)に描かれ、一連の「南蛮人渡来図屏風(びょうぶ)」(通称「南蛮屏風」)をはじめ『泰西王侯騎馬図』(神戸市立博物館および東京・サントリー美術館)、『レパント沖戦闘・万国図』(兵庫・香雪美術館)、『洋人奏楽図』(東京・永青文庫および静岡・MOA美術館)などの西欧的な題材を扱った大作がある。小品としては、この時期の洋画家のうちで例外的にその名を画面に記し印を押す信方(のぶかた)(生没年不詳)の作『婦女弾琴図』(奈良・大和(やまと)文華館)、『日教聖人像』(兵庫・青蓮寺)が名高い。このように、キリスト教の伝来とともに開花した日本の初期洋画であったが、江戸初期のキリスト教禁制によって制作を停止され、中央画壇にほとんど影響を及ぼすことなく、中絶してしまう。
 工芸の分野では、南蛮趣味の流行に促されて、西洋風な意匠による漆器、陶器、金工品などがつくられた。ことに漆芸においては、「南蛮漆芸」とよばれる異国的な作風をもつ一群が現れ、キリスト教関係の器具のほか、南蛮人の風俗や葡萄唐草(ぶどうからくさ)などの洋風文様を装飾意匠として用いた新鮮な作例が遺存している。「葡萄蒔絵聖餅箱(まきえせいへいばこ)」(鎌倉・東慶寺)や「洋人蒔絵鞍(くら)」(東京国立博物館)などがその代表例である。また、西洋人の趣味と用途にあわせた輸出品も多く制作され、「秋草蒔絵宝石箱」(東京国立博物館)などの例が知られている。陶芸では、織部焼(おりべやき)が西洋の事物や文様を好んで絵付(えつけ)に用い、南蛮人燭台(しょくだい)ほか異色の作品を生んでいる。さらに、ローマ字を透かしたり象眼(ぞうがん)したりした刀の鐔(つば)(法安(ほうあん)鐔)、キリスト教の紋章と1577の西暦が陽刻された西洋風の鐘「南蛮鐘」(京都・春光院)など、金工方面にも南蛮趣味の反映が認められる。[小林 忠]
『岡本良知著『日本の美術 19 南蛮美術』(1965・平凡社) ▽坂本満・菅瀬正・成瀬不二雄著『原色日本の美術 25 南蛮美術と洋風画』(1970・小学館) ▽坂本満・村元雄著『日本の美術 34 南蛮美術』(1974・小学館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の南蛮美術の言及

【安土桃山時代美術】より

…狩野内膳筆《豊国祭礼図屛風》(豊国神社),狩野長信の《花下遊楽図屛風》(東京国立博物館)などは現世の享楽を素直に肯定しようとする人々の生活態度が反映されている。また南蛮美術は,ポルトガル人の渡来に伴う桃山文化の国際的性格を反映したもので,後期に流行した。来日のイエズス会修道士が布教用に持参した宗教画や世俗画は,神学校(セミナリヨ)で学習され,《マリア十五玄義図》(京都大学),《洋人奏楽図屛風》(MOA美術館)のような伝統的手法と異国の主題との混血によるエキゾティシズムにあふれた第1期の洋風画を生む。…

【南蛮文化】より

…グレゴリオ聖歌はオラショ(祈り)として現在も生月島の隠れキリシタンに歌いつがれている。
[南蛮美術]
 イエズス会はキリシタンの求めに応じるため画学舎を設け,日本人学生に聖画像やロザリオ,メダイ等の工芸品を作らせた。書物の挿図や銅版画が手本であったが,油絵やテンペラ絵の技法は未熟で遠近法,陰影法も幼稚であった。…

※「南蛮美術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone

南蛮美術の関連情報