桜町陣屋跡(読み)さくらまちじんやあと

日本歴史地名大系 「桜町陣屋跡」の解説

桜町陣屋跡
さくらまちじんやあと

[現在地名]二宮町物井

物井ものいの北東桜町にある旗本宇津氏の陣屋跡で、国指定史跡。元禄一一年(一六九八)相模小田原藩主大久保忠朝は三男の宇津教信に芳賀郡内の同藩飛地領のうち、新開高に相当する東沼ひがしぬま(現真岡市)・物井・横田よこたの三ヵ村四千石を分知、のち当地に出張陣屋が設けられ、この三ヵ村は桜町領と通称された。元禄一一年の段階で高四千一〇九石余・反別五〇一町余、家数四三三・人数一千九一五であった桜町領三ヵ村は、その後の飢饉などによる人口減少、荒地増大が続いて、文政期(一八一八―三〇)には家数一五六、年貢収入は年平均で米九六二俵余・金一三〇両余、四千石の高で免率一ツ五分から一ツ六分相当という窮状であった。文政四年、本家大久保家より桜町領復興を命ぜられた二宮尊徳(金次郎)は同年、当地に下向、実地調査を行い、翌五年相模栢山かやま(現神奈川県小田原市)家宅家財を売払い、家族とともに当陣屋に移り住む。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「桜町陣屋跡」の解説

さくらまちじんやあと【桜町陣屋跡】


栃木県真岡(もおか)市物井にある江戸時代の陣屋遺跡。この地は1698年(元禄11)に小田原藩主大久保忠朝(ただとも)の3男教信が分家し、宇津(うつ)家を継いで領した地で、陣屋は翌年に設置。後に領地が荒廃し、二宮尊徳がこの陣屋で農村復興に努めた「報徳仕法」の地であり、遺跡の保存もよいことなどから、1932年(昭和7)に国の史跡に指定された。指定範囲は陣屋跡の東西約100m、南北約110mに及び、周囲にはかつて土塁がめぐっていたが、今は南側だけに残る。陣屋として機能した当時には間口13間(23.4m)、奥行き4間(7.2m)の役所を中心に、村役人詰め所、材木小屋、板蔵、馬屋など、12~13棟の建物があったが、現在はその一部を残すだけである。真岡鐡道久下田(くげた)駅から車で約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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