デジタル大辞泉 「梶原一騎」の意味・読み・例文・類語 かじわら‐いっき〔かぢはら‐〕【梶原一騎】 [1936~1987]漫画原作者。東京の生まれ。本名、高森朝樹あさき。高森朝雄あさおの名義も使用。「巨人の星」「タイガーマスク」「あしたのジョー」など、スポーツや格闘技に材をとった作品を中心に多くの漫画原作を手がけた。他の作品に「愛と誠」「空手バカ一代」「柔道一直線」など。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「梶原一騎」の解説 梶原 一騎カジワラ イッキ 昭和期の劇画作家 生年昭和11(1936)年9月4日 没年昭和62(1987)年1月21日 出生地熊本県 出身地東京 本名高森 朝樹(タカモリ アサキ) 別名別名=正木 亜都(マサキ アド) 学歴〔年〕芝商業高校中退 経歴19歳の時から空手を始め、大山倍達とともに大山道場(後の極真会館)を設立。傍ら児童雑誌にプロレスラー、ボクサーなどの伝記を書く。昭和38年「チャンピオン太」で漫画界にデビュー。「あしたのジョー」をはじめとして「巨人の星」「タイガーマスク」「愛と誠」など数々の超ヒット作を生む。その人気は、葛藤をふまえた巧みな物語構成、現実のプロ球団の登場などにあった。また劇画だけでなく映画制作にも進出、「四角いジャングル・挌闘技世界一」などヒットさせる。その後激性すい炎となって生死の境をさ迷う1年間の闘病生活を送る。60年6月より弟の空手家・作家の真樹日佐夫とコンビで“正木亜都”のペンネームを用いミステリー小説を書いていた。51年台湾の女優・白冰冰と結婚するが、58年離婚。著書に「梶原一騎傑作全集」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
百科事典マイペディア 「梶原一騎」の意味・わかりやすい解説 梶原一騎【かじわらいっき】 漫画原作者。本名高森朝雄。熊本県生れ。高校時代よりスポーツ小説を執筆し,1955年絵物語《鉄腕リキヤ》(吉田竜夫画)を発表。1962年プロレス物《チャンピオン太》(吉田竜夫画)で初の原作を手がける。野球漫画《巨人の星》(川崎のぼる画,1968年―1971年),高森朝雄名義のボクシング漫画《あしたのジョー》(ちばてつや画,1968年―1973年)により,〈スポーツ根性〉漫画ブームを巻き起こす。その後は青春物《愛と誠》(ながやす巧画)を発表する一方,映画製作や格闘技興行のプロデュースも行った。暴行事件により1983年一線を退く。自伝《男の星座》(原田久仁信画)が未完の遺作となった。→関連項目小池一夫 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梶原一騎」の解説 梶原一騎 かじわら-いっき 1936-1987 昭和時代後期の漫画原作者。昭和11年9月4日生まれ。37年「少年マガジン」連載の「チャンピオン太」(吉田竜夫画)でデビュー。41年から連載の「巨人の星」(川崎のぼる画)が大ヒットとなる。ほかに「あしたのジョー」(高森朝雄の筆名を使用)や「愛と誠」などをかいた。昭和62年1月21日死去。50歳。熊本県出身。本名は高森朝樹。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「梶原一騎」の解説 梶原 一騎 (かじわら いっき) 生年月日:1936年9月4日昭和時代の劇画作家1988年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by